可哀相な日本の大学生たち
昨日、ある大学の講師控室に行ったら、一人の若い女性講師が甲高い声でテーブルの向こう側に座っている同僚らしき男性と話しているのが聞こえた。
「あの子たちは上書き保存しかしないんだから」と言っているので、パソコンの話でもしているのかと思ったら、どうもそうではない。「5月に○○の小テストをやったらできていたのに、もう忘れているんだから、嫌になる。もうぜんぜん出来ない学生ばかりで嫌になる」とか喚いている。
よくよく聞いていると学生の覚えが悪くて小テストをやって覚えさせたことも次々忘れていくから「上書き保存」だという話のようだ。それだけならただの愚痴だが、「今年のクラスの学生は本当に出来が悪い」と学生を罵倒しているにいたって、私はちょっと違うんじゃないのと思ったのだ。小テストのときにきちんと覚えてきただけでも立派ではないか。でも忘れてしまう。それは覚えている必要がないと学生たちは思っているからだ。
そういうレベルの学生だということが分かったのなら、そこから出発して教えてやるのが教師の務めではないか? 学生たちの頭の出来が悪いといって悪罵してすむのなら、だれも苦労はしない。そういうレベルでしかも週に一回しかない授業で、大学になって初めて勉強する科目を、「意外と面白い、もっと勉強してみよう」と思わせるようにするのがプロの仕事じゃないのと私は思う。
どっか一流大学の出身だかなんか知らないが、お勉強がよくできて外国に留学までしてきたお嬢さんでは二流三流の出来が悪い学生たちの気持ちなんか分からないのかもしれないが、分からないのならいますぐ辞めて、東大でも京大でもいいから、あんたの教師としてのレベルに合った大学で教えたらどうなのと言いたいのをぐっと抑えて聞いていた。
この手の学生批判というか愚痴というか、学生のことを出来が悪いという話はよく耳にする。そういうことを言っているのは、たいてい自分の教師としての無能力をさらしているのと同じだということがお分かりになっていないらしい。今の学生は面白くなければおしゃべりしたり、聞くふりをしてケータイでも見ている。昔のように、大学の教師を偉い人のようにも思っていないし、面白くもない授業を我慢強く聞くなんて義理立てはしない。だけど平均して100万円というような高い授業料を親から出してもらっていることに気兼ねしているから、きちんと授業は出て得るものがあれば得ようと思っているのだ。昔の学生みたいに遊んでいても卒業できるとは思っていないし、そもそも大学を卒業しただけではどうにもならないことは本人たちが一番よく分かっている。だからこそ授業に出て何かを得たいと思っているから授業にも出てくる。
そういうことを分かっていない大学教員が多いらしく、学生の出来が悪いと一方的に学生を悪者扱いして済ますばかりで、自分が学生たちに分かるように教えてやっているのかという反省をしてみようなどとはまったく思い至らないらしい。
たとえば外国語で言えば、たかだか週2回一年間もしくは二年間新しい外国語をやったところでものになる(ここでものになるというのは新聞や小説が読めるようになるという意味)わけがないのに、あたかもものになるのかのごとく、一年目で初級文法を詰め込み、二年目にはいっぱしに文章を読ませるところが多いが、あれなど外国語嫌いを増やしているようなものだということがどうも分かっていないようだ。専門科目でも大学というところは高尚なことを教えるところだと勘違いしているみたいで、学生がちんぷんかんぷんなのもお構いなしに講義をやっているという話も耳にする。
外国語の場合、それを専門とするなら別だが、一般教養としてやるだけのことなら、そんなに文章なんか読めるようになることを期待するのは無理だ。そうではなくて、一年間もしくは二年間を聞く、話す、読む、書くの四つの能力をできるだけ均等に習得することができるようにしてやり、さらにその言語を使う社会(国民)について学習することで、この学習期間の終了後に、○○語って面白いな、もっと勉強してみようかなと学生に思わせるかどうかだ、そうなればしめたものだし、そこから自分で勉強してみるなり、大学のカリキュラムにその上のレベルのクラスが用意してあれば、そちらを受けてその外国語を勉強し続けてみようとする学生を増やすことが肝要だと思う。
先ほどの話にもどれば小テストのために覚えたことをすぐに忘れてしまったからといってどこが悪いのか? 別に構わないではないか。学生にしたって、別になにも困らないから忘れるのだ。忘れたら困ることだったら忘れはしないだろう。小テストの前に勉強して覚えてきただけ優秀ではないか。だから試験前には彼らは勉強するはずだし、それでいい。身を入れて勉強しなければならないものではないという判断があるのだろう。単位が取れればいいのだ。それが最低限のレベルだ。そこから出発して、○○って面白いな、もっと勉強してみようかと思わせるようにしてやることこそプロの教師に必要なことではないのか。
こんな馬鹿みたいな教師が専任教員になって大学教育を管理する側になるんだから、日本の大学教育はろくなものにならんね。
昨日、ある大学の講師控室に行ったら、一人の若い女性講師が甲高い声でテーブルの向こう側に座っている同僚らしき男性と話しているのが聞こえた。
「あの子たちは上書き保存しかしないんだから」と言っているので、パソコンの話でもしているのかと思ったら、どうもそうではない。「5月に○○の小テストをやったらできていたのに、もう忘れているんだから、嫌になる。もうぜんぜん出来ない学生ばかりで嫌になる」とか喚いている。
よくよく聞いていると学生の覚えが悪くて小テストをやって覚えさせたことも次々忘れていくから「上書き保存」だという話のようだ。それだけならただの愚痴だが、「今年のクラスの学生は本当に出来が悪い」と学生を罵倒しているにいたって、私はちょっと違うんじゃないのと思ったのだ。小テストのときにきちんと覚えてきただけでも立派ではないか。でも忘れてしまう。それは覚えている必要がないと学生たちは思っているからだ。
そういうレベルの学生だということが分かったのなら、そこから出発して教えてやるのが教師の務めではないか? 学生たちの頭の出来が悪いといって悪罵してすむのなら、だれも苦労はしない。そういうレベルでしかも週に一回しかない授業で、大学になって初めて勉強する科目を、「意外と面白い、もっと勉強してみよう」と思わせるようにするのがプロの仕事じゃないのと私は思う。
どっか一流大学の出身だかなんか知らないが、お勉強がよくできて外国に留学までしてきたお嬢さんでは二流三流の出来が悪い学生たちの気持ちなんか分からないのかもしれないが、分からないのならいますぐ辞めて、東大でも京大でもいいから、あんたの教師としてのレベルに合った大学で教えたらどうなのと言いたいのをぐっと抑えて聞いていた。
この手の学生批判というか愚痴というか、学生のことを出来が悪いという話はよく耳にする。そういうことを言っているのは、たいてい自分の教師としての無能力をさらしているのと同じだということがお分かりになっていないらしい。今の学生は面白くなければおしゃべりしたり、聞くふりをしてケータイでも見ている。昔のように、大学の教師を偉い人のようにも思っていないし、面白くもない授業を我慢強く聞くなんて義理立てはしない。だけど平均して100万円というような高い授業料を親から出してもらっていることに気兼ねしているから、きちんと授業は出て得るものがあれば得ようと思っているのだ。昔の学生みたいに遊んでいても卒業できるとは思っていないし、そもそも大学を卒業しただけではどうにもならないことは本人たちが一番よく分かっている。だからこそ授業に出て何かを得たいと思っているから授業にも出てくる。
そういうことを分かっていない大学教員が多いらしく、学生の出来が悪いと一方的に学生を悪者扱いして済ますばかりで、自分が学生たちに分かるように教えてやっているのかという反省をしてみようなどとはまったく思い至らないらしい。
たとえば外国語で言えば、たかだか週2回一年間もしくは二年間新しい外国語をやったところでものになる(ここでものになるというのは新聞や小説が読めるようになるという意味)わけがないのに、あたかもものになるのかのごとく、一年目で初級文法を詰め込み、二年目にはいっぱしに文章を読ませるところが多いが、あれなど外国語嫌いを増やしているようなものだということがどうも分かっていないようだ。専門科目でも大学というところは高尚なことを教えるところだと勘違いしているみたいで、学生がちんぷんかんぷんなのもお構いなしに講義をやっているという話も耳にする。
外国語の場合、それを専門とするなら別だが、一般教養としてやるだけのことなら、そんなに文章なんか読めるようになることを期待するのは無理だ。そうではなくて、一年間もしくは二年間を聞く、話す、読む、書くの四つの能力をできるだけ均等に習得することができるようにしてやり、さらにその言語を使う社会(国民)について学習することで、この学習期間の終了後に、○○語って面白いな、もっと勉強してみようかなと学生に思わせるかどうかだ、そうなればしめたものだし、そこから自分で勉強してみるなり、大学のカリキュラムにその上のレベルのクラスが用意してあれば、そちらを受けてその外国語を勉強し続けてみようとする学生を増やすことが肝要だと思う。
先ほどの話にもどれば小テストのために覚えたことをすぐに忘れてしまったからといってどこが悪いのか? 別に構わないではないか。学生にしたって、別になにも困らないから忘れるのだ。忘れたら困ることだったら忘れはしないだろう。小テストの前に勉強して覚えてきただけ優秀ではないか。だから試験前には彼らは勉強するはずだし、それでいい。身を入れて勉強しなければならないものではないという判断があるのだろう。単位が取れればいいのだ。それが最低限のレベルだ。そこから出発して、○○って面白いな、もっと勉強してみようかと思わせるようにしてやることこそプロの教師に必要なことではないのか。
こんな馬鹿みたいな教師が専任教員になって大学教育を管理する側になるんだから、日本の大学教育はろくなものにならんね。