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『カドミュスとエルミオーヌ』

2009年04月08日 | 舞台芸術
リュリ『カドミュスとエルミオーヌ』(Alpha、2008年)

音楽リュリ、詩キノーによるフランスのバロックオペラ第1作である『カドミュスとエルミオーヌ』のDVDが出た。音楽総監督はデュメストルで舞台演出はラザールというコンビは、リュリとモリエールのコメディ=バレの傑作『町人貴族』に引き続き、蝋燭を照明に使い、発音も近年の研究の成果によるバロック風の発音を使い、さらに衣装も当時のデッサンを再現するようなものを使って、かつて古楽器演奏がバロック音楽にたいするイメージを一新したのに匹敵するような、バロックオペラを再現して、新しい魅力を開拓している。

彼らがなぜ『カドミュスとエルミオーヌ』を選択したのかについては不明だが、どう考えてもリュリとキノーのオペラの傑作ということで言えば、第2作の『アルセスト』だとか二人の最後のオペラになる『アルミード』などが考えられるので、やはりこのリュリとキノーのコンビ第1作であるし、まだだれも録音演奏していないということもあったのかもしれない。

私としてはやはり『アルセスト』とか『アルミード』をやってほしかった。『町人貴族』はモリエールとリュリの最高傑作であって、あれはコメディ=バレの到達点であったのだから、バロックオペラでもその最高傑作である『アルミード』に挑戦して欲しかった。たぶんデュメストルとラザールのコンビが『アルミード』を選択しなかった理由のひとつに、舞台環境ということがあるのだろうと思う。

『アルミード』では一瞬にして場面が変わってアルミードが支配するえもいわれぬ魅力的な場所にはやがわりしたり、最後の場面ではアルミードの宮殿が一瞬にして崩壊してしまうというような場面転換が必要になる。当時は、それを舞台袖に何枚も平行に配列した絵を貼り付けた側面枠を入れ替えることで、一瞬の場面転換を行ったのだが、どうもこのDVDを見ていると、これが上演されたオペラ=コミック座(もちろん現在のであるが)にはそのような設備がないようだ。DVDでは場面転換は両袖に配置した側面枠をゆっくりと移動させていたが、これは登場人物のゆっくりした動きに合わせていたに違いない。

もう一つ関心を持ってみたのは、いわゆる宙乗りとか怪物をどのように登場させるかという問題であった。私はエルヴェ・ニケがリュリの『ペルセ』をトロントのエルジン劇場で2004年に上演したDVDを持っている。これでは、ペルセがアンドロメードを幽閉している海の怪物を倒す場面で、まるでウルトラマンかゴジラの昔の(アメリカ映画のような精巧なものではなく)テレビドラマに出てくる怪獣もどきの張りぼてに人間が入ったものを登場させていて、まったく興ざめもいいところだった。だからこのDVDでも怪物の登場をどのようにするのか興味があったのだ。

まず蝋燭による照明ということで舞台が暗いので、宙乗りにつかう釣紐がたぶん見えにくいと思われる。DVDではアップの部分もあるので、アップにするとロープが丸見えであるが、たぶん観客からはあまり見えていなかったと思う。そして怪獣は舞台袖から少しだけ見せるので、たしかに違和感は『ペルセ』ほどではなかったが、やはり多少の興ざめはあった。

やはりどんなに当時の舞台に近づけようとしても、いわゆる驚異と当時の人々が呼んで楽しんだとされる、仕掛けを使った宙乗り、非現実の登場人物などの造形は、現代では無理があるように思う。『町人貴族』ほどの感動が感じられないのは、ひとえに作品の問題だろう。『町人貴族』は当時の成り上がりのブルジョワを描いているから、当時の上演をできるだけ再現しようとすればするほど、当時の町人の姿がリアルに浮かび上がってくるわけで、現代人にとっても面白くなるのだ。しかしへんな張りぼてが出てきて、なんか身動きでなくなってひっくりかえったのが死んだのを意味するのだよというようなものを見ると白けてしまう。そんなものを見るくらいなら、CDで場面を想像しながら聞くほうがいいと思うのは当然だろう。

だから『アルセスト』や『アルミード』のようにストーリー自体が面白くて、演出の仕方次第で、いわゆる仕掛けの部分をリアリティーを損なわないように演出することができる作品なら、現代人が見ても、けっこう楽しめると思うのは私だけだろうか。


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