仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

同朋と同胞のちがい

2013年06月10日 | 日記
本願寺派仏教婦人会総連盟が発行している『めぐみ』(2013年夏号)が、昨日送られてきました。ニューリニューアルで、大きな版となりました。巻頭に総裁である大谷範子裏方様が、文を寄せられています。いつも心にしみる内容です。

その中に次のような紹介分がありました。(以下転載)

 「御同朋」という言葉を見ますと、かつて第11回世界仏教婦人会大会(1998)の講演で岡百合子さんが話された事を思い出します。同朋の朋という字は清らかな貝が、同じ形の貝がふたつ並んだという意味。同じような音で同胞と言う言葉もある。こちらは血縁をもとにしている。血縁なくしては人間は生まれない大事なものだけれど、肉親ゆえに傷つけ合う、民族紛争にもなる。朋の同じ形の貝とは、仏様の前にふたりが跪く。どうしようもない人間が、どうしようもないということに気づいて、そして合掌して跪いて南無阿弥陀仏と帰命する。その時に、この二人にはみてくれの違い、社会的な違い、民族的違い、性の違いとかを一切越えて同じ貝になる。御同朋とはその上うな関係」と話されました。(以上)

そして浄土真宗役割、また今年度の活動について説かれています。

朋と胞の違いは、意識しないと気付かないものです。確かに胞は、細胞という意味で、同じ親から生まれてものということです。本願寺派は同朋教団であるという意味が、朋の文字でより明らかになるのだなーと、冊子を読みながら思われました。
コメント
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