仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

嘘に対するお国柄のちがい

2013年06月17日 | 日記
『嘘の見抜き方』(若狭勝著)を読みました。著者は、26年にわたり、東京地検特捜部副部長、横浜地検刑事部長、東京地検公安部長などを歴任された方です。


本の紹介には「プロはどこを見ているのか? 噓をどう崩すのか? 元東京地検特捜部検事がそのテクニックを徹底解説。「相手の目を見ず質問する」「噓を言わずにカマをかける」「イエス・ノーで答えさせない」などその手法は通説を覆すものばかり。噓がバレるフレーズ、暴けない噓の条件、誘導尋問のからくりなど、悪用厳禁の経験則も惜しみなく披露。伝説の詐欺師から大物政治家までを取り調べた、検事生活26年の集大成がここに!」とあります。

あまり参考にはなりませんでしたが、「へー、そうなんだ」と思ったことは、嘘に対する対応もお国柄があるということです。

下記は同書からの転載です。


元来、日本社会では、ある行為が許容されるかどうかの判断基準をその行為が恥になるかどうかに求めてきました。(中略) 旧約聖書には「汝、嘘をつくことなかれ」という教えがあります。欧米では、「墟をついて否認することはすべて悪であり、逆に「正直であること」「自白すること」は、神に対しての正しい態度であり、赦しを得ることができるという発想になるそうです。嘘によって利益を得た企業への罰則が日本以上に重いことや、、真実を話せば罪が輕くなる「司法取引」が米国で成立した背景には、こういった考え方の違いもあるでしょう。(以上)



嘘に対するお国柄のちがいだけに焦点を当ててみたらおもしろうだろうと思いました。それよりも嘘の対する宗教のちがいの方が興味があります。
コメント
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