法話メモ帳より
「袈裟」栗山一思作
ある村に律儀な老夫妻がいました。
二人は、田畑の仕事の合間に,汗もふかずに何やら話しています。
「ばあさんや、私どもが救われるというありがたい教えがあるそうだぞ」
「そんな教えがあるじゃろうか」
「いや、確かにあるそうだ。村の衆から聞いたからまちがいない。なんでも、南無阿弥陀仏という仏さまに救われる教えだそうじゃ」
「でも、おじいさん、私たちは無学で、仏さまの教えがどっちを向いているやら、何も知らないんですよ。仏教の修行もしたことがない。朝から晩まで一日中、土と一緒で、一鍬一鍬に虫を殺して生きとります。そんな私たちが助かるようなありがたい教えがどこにありましょう。」
「阿弥陀仏という仏さまは、そのような罪の深い、愚かな凡夫を特に哀れみたもうて、戒律もいらず、行もいらず、ただ信ずる1つで救うてくださるという。京都の本願時さまでその教えが説かれているそうだ。」
「もし、そのようなありがたい教えがあるのならば、聞かせて貰いたいものですね」
「そうじゃのお、我らは田畑を離れることはできんし、誰かに本願寺さまで、その教えを学んでほしいものだ」
「誰か適当な人はないものしょうか。村の衆は皆忙しいし、田畑も家庭もある。…。」
「そうじゃ、田吾作はどうだろう。田吾作はいつも暇そうだ。村の衆と一緒に田吾作に相談してみよう。」
田吾作は村の若者でした。いつもブラブラして、一日中ボケーっとしていました。
村の長老たちは、田吾作を招いて相談しました。
「なあ田吾作どん、実はあんたに都にのぼってもらいたいのだ。都に本願寺というお寺がある。そこでは私たちのような罪深い者が助かるという素晴らしい教えが説かれているそうだ。そこであんたに一つ頼みがある。都にのぼって、そのみ教えを学んで貰いたいのだよ。私たちは田畑を離れることができないし、養わなければならない家族もいる。お前は一人で気楽だ。あんたの田畑は、私たちが代わりに守ってゆくから、安心するがよい。どうだろう、一つ頼みを聞いてくれんか…。」
田吾作は申し出を聞いて色々と考えました。が、結局都に上ることになりました。
村の人たちに送られて、田吾作は京都の本願寺へ行きました。ところが、若い田吾作にとって仏教の教えは退屈でした。
田吾作は芝居小屋に通ったり、音楽を楽しんだり、賑やかな街中をうろつきました。お酒の味も覚えました。
月日は瞬く間に過ぎ去り胸をときめかせた、思い出多い都を後にして、田吾作は京の都を去り、田舎に帰りました。
村では、田吾作の帰郷を待ち望んでいた人たちが集まってきました。
「さあ、田吾作どん、聞かせておくれ。本願寺様で学んだきた尊い教えを……。私たちはこの日がくるのをどれだけ待ち望んでいたことかー。」
田吾作は、ここにいたって、都で勉強不足を後悔するのでした。田吾作は、村の衆に向かって自分が考えたこと、思うことを語りました。
ある日のこと、村人たちが田吾作に言いました。
「田吾作どん、私たちはあんたに聞きたいのは、あんたの考えや、思想ではない。私たちが聞かせてもらいたいのは仏様のことだよ。阿弥陀さまは私たちをどのように救おうとなさるのか。なにゆえ私たちが助かるのか。あんたの考えが、どれだけ深かろうと、私たちはあんたの考えや思想を聞こうとは思わんよ。」
田吾作はこのとき、初めて気がつきました。
「そうか。私が話すのは私の頭や、心で考えたことではなく仏さまの仰せを伝えるのが、私のつとめだった。」と。
このときから田吾作は、南無阿弥陀仏の大慈悲心を伝えるのです。
村人たちは、ありがたい念仏の教えを喜び、もっと多くの人たちに聞いてもらおうと、村人を誘いました。
ところが、思うように村人は来てくれません。
「田吾作の話を聞くなんて、そんあ暇があったら、偉い有名な学者の話を聞いたほうがいいよ」
「俺は田吾作の小さい頃からを知っているよ。勉強もろくにせんあのはなたれに何を聞くか。」
「俺は昔、田吾作にいじめれられたことがある。あんな奴の話なんか聞きたくもない。」
田吾作は何の返答もできませんでした。
「田吾作どん、村の衆は仏さまの話を聞くのに、田吾作という人間の話を聞くことと思っている。そして、村の衆はあんたの心の中を見透かしているし、あんたの過去を知っている。どうも困ったもんじゃ。どうだろう、田吾作どん。あんたお衣と、お袈裟をつけてくれんか。」
こんな愚かな私が、あおの尊いお袈裟をつけるのですか。これは勿体ないことです。」
「田吾作どん、あんたがどんな心を抱えていようと、またどんな過去を引きずっていようと、あんたが袈裟を着けてくれたら、私たちはあんたの心の中をのぞくまい。あんたを尊い仏さまの弟子と見て、あんたに接しようではないか。」
それから、田吾作は愚かな身に、この上ない尊いお袈裟をつけることとなりました。
田吾作にとっては重たいお袈裟になりそうです。
ひと様が僧形の田吾作に手を合わすとき、田吾作はふと自分が拝まれているような気になったりします。そんな思いがしたとき、田吾作は手を合わす人と、そして身につけたお袈裟に手を合わすのでした。
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