仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

宗教なき時代を生きるために

2020年10月17日 | 仏教とは?

完全版 宗教なき時代を生きるために(法藏館2019年4月・森岡正博著)は、 1996年3月出版を、新しい出版したものです。

 

「第1章 宗教なき時代を生きるために」に「7 私が宗教を信仰できない理由」があり、そこに次のようにあります。

なぜ私かそのような宗教の「信仰」へと入ってゆけないのか。

 その理由は、四つほどある。

 まず、この章の冒頭でも言ったことだが、私は「絶対の真理がすでに誰かによって説かれている」という感覚をもつことができない。そういう感覚を、自分の実感としてもつことができない。

そういう感覚は、どこかそらぞらしく響いてしまう。だから、絶対の真理を過去の偉い人が語ったとか、神のお告げによってそれを人々に知らせたとか、その言葉が聖典に書かれているとか、そういったことを受け入れる気持ちになれない。

 第二に、宗教は「死後の世界」について断定的に語ることが多いが、私はそれを受け入れることもできない。この世に生きている人は、誰も死後の世界について断定的に語れるはずはないのに、それを臆面もなく断定的に語ろうとする、その姿勢についていけないのだ。もちろん、死後の世界についての断定的なことばを聞けば、誰だってそれにすがってみたくなる。しかし、「人が死んだらどうなるのか」という根本問題に対して、私の目から見れば根拠不足の仮説でしがないことを、あたかも真理であるかのように断定的に語るのは好きになれない。前にも述べたが、死後の世界への旅として解釈されてきた臨死体験ですら、脳科学が進めば、脳内のメカニズムによって解明可能かもしれないのだ。死後の世界があるという〈仮説〉ならば、理解可能である。

しかし、死後の世界があるという〈断定〉は、とても受け入れがたい。

 第三と第四の理由は、もっとも根本的だ。

 例をあげるのがいちばん分かりやすい。

 たとえばキリスト教では、「神がこの世界を創造したということ」は絶対の真理となっている。ということはつまり、キリスト教を信仰するものは、『神がこの世界を創造したというヽ』と」を、凵分のいのちを賭けて全身全霊で本気で疑うことができないのである。なぜかと言えば、「神がこの世界を創造したということ」の真偽を積極的に疑ってみることを停止して、そのうえで、「神がこの世界を創造したということ」が正しいのだということに決めて人生をやってみようと決心するときに、その人の「信仰」がはじまるからだ。

 仏教でも同じだ。原始仏教でいえば「釈迦が諸法無我の悟りをひらいたということ」、浄土仏教で言えば「信者が死んだらあの世に往生するということ」がほんとうに正しいのかどうかについて積極的に疑いを停止し、それが正しいのだということで人生をやってみようと決心するときに、「信仰」がはじまる。

 言い換えれば、こういうことだ。

 「神がこの世界を創造したということ」や「信者が死んだらあの世に往生するということ」は、あなたが独力で発見したことではなくて、誰か他人から聞いたことのはずである。ということは、自分の頭で考えても容易に答えの出ない問いがあったとき、それについて自分で考えることを停止してしまって、そのかわりに、誰か他人が知らせてくれたこのような解答(それは神のことばであったり仏のことばであったりする)が正しいのだということに決めて人生をやってみようと決心するときに、人は「信仰」の道に入るのだ。

私が宗教を「信仰」できない第二の理由は、世界と宇宙の成り立ち全体にかかかるこんなに根本的なことにかんして、「××こそが正しいのだ」という断定をしたり、あるいはその命題の正しさを自分のいのちを賭けて全身令霊で疑うことを積極的に停止したりするという、そのような態度をとれないからである。

 私か宗教を「信仰」できない第四の理由は、このような根本的なことについて他人が知らせてくれた解答を、そのまま自分自身の解答にしてしまうことができないからである。他人のことばや思考に自分を重ねて、それをそのままみずからのことばや思考にしてゆくことができないのだ。

 以上の四点が、私にとっては最大の問題である。

 そして、私と同じような問いをかかえながらも、やはり宗教には入ってゆけない多くの人々にとって、これらの点は大きな障害になっているに違いないと思う。(以上)

 

著者の考え方の根底に「知性への信頼」があります。このこと自体は当たり前の事ですが、神や浄土を疑うことと同様に「知性への信頼」も疑うべきでしょう。新宗教は別として、仏教では「積極的に疑いを停止」から始まるのではなく、「(知性による)疑いの停止」こそ最終目標だとも言えます。そこに自我からの解放があります。

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