昨日、「五箇山に本願寺常設展を」と書いたところ、下記のような得難い情報を頂きました。
・コメントを書いた人
齋藤仁之
・タイトル
五箇山の真宗門徒
・コメント
いつも楽しみに拝見させていただいています。
五箇山をはじめとした砺波地方は私の田舎の相馬地方への真宗移民の故郷としても有名です。浅間山の噴火が原因となった「天明の飢饉」の折、東北地方太平洋沿岸部の相馬藩は大打撃を受け、農民がほとんど餓死する状態になりましたが、その際に五箇山や砺波地方から真宗門徒である農民の次男・三男家族が加賀藩を脱藩して相馬地方に移住しました。
相馬への真宗移民は何回かに分けられていて、入植地区によっては他の地方からの移民の方も居られますが、7代程度前のご先祖様が砺波の家の出であると分かっているご門徒さんも多数居られます。不慣れな相馬の土地に移って地元の方に混じって、信仰を支えに結束して農地を耕してきたご先祖様たちを偲んでの真宗信仰というものがここにはあります。
いま原発被害を受けている地区がほぼ旧相馬藩領内と重なっていて、それは本願寺派の寺院の小単位である組としては「相馬組」となりますが、ここでは伝統的に東西問わず真宗寺院間に交流があり、また今回の震災/原発事故では、これも東西を問わず皆の故郷である砺波地方の真宗寺院からのご支援や慰問をいただきました。
相馬の真宗寺院の本堂には外陣空間に所狭しと、永代経懇志を納めた証の祠堂札(しどうふだ)と呼ばれる金箔にて装飾された木札が掲げられており、東北地方の中でも相馬組寺院に特有のこの風習は、遠く五箇山や砺波の真宗寺院にみられる(しかも高岡地区などでは見られない)と聞いています。
(以上)
丁度、龍谷大学から送られてきた龍谷大学学友会報(2012.3.10第74号)に、大先輩の松山善昭師が、同様な内容を紹介していました。
北陸門惣が相馬へ
ところで相馬は、東北では珍しく浄土真宗のお寺が多い地です。その理由は天明年間(1781~88)に関東や東北を襲った近世最大の飢饉でした。
冷害によって10万人をこえる餓死者が出たと言われ、人口激減の相馬藩は移民政策をとり、北陸から真宗門徒や僧侶を呼び寄せます。真宗門徒は結束力が強く、決して新生児を間引きしなかったからだと考えられます。 文化10年(1813)から約30年間で9千人もの北陸門徒が、相馬藩に移住したと言われます。ですから現在の相馬・南相馬・双葉のご門徒さんは、私たちの先祖は今から200年前に北陸からやってきたという共通認識のもと、私たちには、お念仏をよろこぶ北陸門徒のDNAがあるのだという思いが強くあります。
・コメントを書いた人
齋藤仁之
・タイトル
五箇山の真宗門徒
・コメント
いつも楽しみに拝見させていただいています。
五箇山をはじめとした砺波地方は私の田舎の相馬地方への真宗移民の故郷としても有名です。浅間山の噴火が原因となった「天明の飢饉」の折、東北地方太平洋沿岸部の相馬藩は大打撃を受け、農民がほとんど餓死する状態になりましたが、その際に五箇山や砺波地方から真宗門徒である農民の次男・三男家族が加賀藩を脱藩して相馬地方に移住しました。
相馬への真宗移民は何回かに分けられていて、入植地区によっては他の地方からの移民の方も居られますが、7代程度前のご先祖様が砺波の家の出であると分かっているご門徒さんも多数居られます。不慣れな相馬の土地に移って地元の方に混じって、信仰を支えに結束して農地を耕してきたご先祖様たちを偲んでの真宗信仰というものがここにはあります。
いま原発被害を受けている地区がほぼ旧相馬藩領内と重なっていて、それは本願寺派の寺院の小単位である組としては「相馬組」となりますが、ここでは伝統的に東西問わず真宗寺院間に交流があり、また今回の震災/原発事故では、これも東西を問わず皆の故郷である砺波地方の真宗寺院からのご支援や慰問をいただきました。
相馬の真宗寺院の本堂には外陣空間に所狭しと、永代経懇志を納めた証の祠堂札(しどうふだ)と呼ばれる金箔にて装飾された木札が掲げられており、東北地方の中でも相馬組寺院に特有のこの風習は、遠く五箇山や砺波の真宗寺院にみられる(しかも高岡地区などでは見られない)と聞いています。
(以上)
丁度、龍谷大学から送られてきた龍谷大学学友会報(2012.3.10第74号)に、大先輩の松山善昭師が、同様な内容を紹介していました。
北陸門惣が相馬へ
ところで相馬は、東北では珍しく浄土真宗のお寺が多い地です。その理由は天明年間(1781~88)に関東や東北を襲った近世最大の飢饉でした。
冷害によって10万人をこえる餓死者が出たと言われ、人口激減の相馬藩は移民政策をとり、北陸から真宗門徒や僧侶を呼び寄せます。真宗門徒は結束力が強く、決して新生児を間引きしなかったからだと考えられます。 文化10年(1813)から約30年間で9千人もの北陸門徒が、相馬藩に移住したと言われます。ですから現在の相馬・南相馬・双葉のご門徒さんは、私たちの先祖は今から200年前に北陸からやってきたという共通認識のもと、私たちには、お念仏をよろこぶ北陸門徒のDNAがあるのだという思いが強くあります。
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