仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

“おだまり”という人がいた

2010年10月29日 | 日記
昨日(22.10.28)、四十九日法要と三回忌の併修のご門徒のところへ出勤した。その方の家のそばに、市会議員の看板が立っていた。「おだ真理、共産党」とありました。私の思いは“やっぱりいるんだ”というものです。

以前に書いたことですが、正月の初法座の法話会へ出向した折、新年会で落語家の余興があった.いわく「女性が嫁ぐと姓が変わる。マキさん原さんに嫁ぐと“原マキさん”(腹巻き)と呼ばれる。マリさんが小田さんの家に嫁ぐと“おだまり、おだまり”と呼ばれてしまう」。その記憶があったので「“おだまり”という人はいるんだ」となったのでした。

そして四十九日法要と三回忌の併修、先月ご子息を失い、二年前、ご主人を失われた方です。お茶を出しながら「浄土真宗の本を読んでいて、死んだら阿弥陀さまの世界に摂め取られるとあり、ふっ切りました。仏さまの世界はこの世より、ずーと良い世界でしょう」といわれます。死別の悲しさ、孤独の思いの中で、先に逝ったご子息と夫の事を思い、阿弥陀さまのもとへ摂め取られていったという言葉によって、少し安心したお心になられたようでした。

いま回想して思うことですが「阿弥陀さまのもとへ摂め取られていった」と思えることが重要です。そう思えた背後に、そうのような思いをもたせた如来の働きがあることに意識が開かれて行くと、もっと仏さまの世界や働きを実感できるのですが。そう思います。
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