
『人類の起源、宗教の誕生: ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』 (平凡社新書・2019/5/17)は、 霊長類学者である山極 寿一氏と宗教学者である小原 克博氏との対談を中心とする本です。
内容(「BOOK」データベースより)
チンパンジーやゴリラの世界に宗教はあるのか。文明の誕生以前の人類にも宗教的な思考が存在していたのか。私たちホモ・サピエンスが社会をつくりはじめた出発点、ひとがひとであるようになったとき、同時に宗教が生まれた。とても強力な「神や仏を信じる力」はどのように生まれ、これからの人類に、果たしてなにをもたらすだろうか。霊長類学者と宗教学者が戦わせる最新の議論。人類史における宗教の存在に鋭く迫る! (以上)
山極 寿一氏の考える宗教の起源です。興味深い意見です。
恥という意識は人間にしかありません。ダーウィンは人間以外の動物に赤面という現象はないと言っています。最近チンパンジーと狩猟採集民のモラルについての研究がクリストファー・ホームという人類学者によって報告されていますが、チンパンジーもゴリラも赤面しないそうです。つまり、恥じをかくのは人間だけの現象だということです。赤面というのは生理現象ですから、起源の古いものだと考えられます。
赤面に限らず、人間だけか持っている特徴はたくさんありますが、その中で、社会性に根差すものは非常に重要だと思います。例えば白目です。白目は人間が向かい合って対面し、相手の目をモニターすることによって相手の気持ちを感じることができる能力につながっています。人間であればどの民族にもあるのに、チンパンジーには白目がないことから、これは共通の祖先から、人間とチンパンジーか分かれた後にできたものであることかわかり、その成立には他者の存在が必要です。今はもう周りに人がいなくても一人で恥を感じて顔を赤らめるようになっていますから、つまり、ルールか内面化しています。しかし本来、それは白目に表されるように、相手が自分をどう見ているかということによって、出てくる現象です。
…人間はそれをことさら高め、その延長線上に神が生まれました。この超越者が常に自分を見ているからこそ、仲間の目だけではなく、神の存在も意識しながら、自分のふるまいを正す必要があるのではないかと、考えるようになったのだと思います。これはまさに、人間の共同生活の中で高められた、共感能力の到達点です。それが、言葉によって明示的に示されるようになったということなのだと思います。言葉によって人間は超越者を描くことかできるようになった。それが神の始まりだと思います。(以上)
ご紹介までに。
内容(「BOOK」データベースより)
チンパンジーやゴリラの世界に宗教はあるのか。文明の誕生以前の人類にも宗教的な思考が存在していたのか。私たちホモ・サピエンスが社会をつくりはじめた出発点、ひとがひとであるようになったとき、同時に宗教が生まれた。とても強力な「神や仏を信じる力」はどのように生まれ、これからの人類に、果たしてなにをもたらすだろうか。霊長類学者と宗教学者が戦わせる最新の議論。人類史における宗教の存在に鋭く迫る! (以上)
山極 寿一氏の考える宗教の起源です。興味深い意見です。
恥という意識は人間にしかありません。ダーウィンは人間以外の動物に赤面という現象はないと言っています。最近チンパンジーと狩猟採集民のモラルについての研究がクリストファー・ホームという人類学者によって報告されていますが、チンパンジーもゴリラも赤面しないそうです。つまり、恥じをかくのは人間だけの現象だということです。赤面というのは生理現象ですから、起源の古いものだと考えられます。
赤面に限らず、人間だけか持っている特徴はたくさんありますが、その中で、社会性に根差すものは非常に重要だと思います。例えば白目です。白目は人間が向かい合って対面し、相手の目をモニターすることによって相手の気持ちを感じることができる能力につながっています。人間であればどの民族にもあるのに、チンパンジーには白目がないことから、これは共通の祖先から、人間とチンパンジーか分かれた後にできたものであることかわかり、その成立には他者の存在が必要です。今はもう周りに人がいなくても一人で恥を感じて顔を赤らめるようになっていますから、つまり、ルールか内面化しています。しかし本来、それは白目に表されるように、相手が自分をどう見ているかということによって、出てくる現象です。
…人間はそれをことさら高め、その延長線上に神が生まれました。この超越者が常に自分を見ているからこそ、仲間の目だけではなく、神の存在も意識しながら、自分のふるまいを正す必要があるのではないかと、考えるようになったのだと思います。これはまさに、人間の共同生活の中で高められた、共感能力の到達点です。それが、言葉によって明示的に示されるようになったということなのだと思います。言葉によって人間は超越者を描くことかできるようになった。それが神の始まりだと思います。(以上)
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