仏教壮年会の集い、知人も多く、楽しいお酒でした。都市開教仲間の茅ヶ崎市のHさん、3月11日築地本願寺の東日本大震災法要で法話をする、そのような話題もありました。
参加してよかったとも思うことの1つに、Hさんから次のような思いを聴いたことです。
日本では原発も辺鄙なところに作って、都会の人は、きれいなところ(エネルギー)だけを享受している。この構図は、色々なところにある。米軍基地を沖縄に押し付けて、平和という綺麗なところだけを享受している。肉もの人に場で働き人に、動物を殺すという役(えき)負わせ、きれいな肉を食べるというところだけを享受している。これっておかしいのでは…とのことでした。
言われればその通り。以下は私の思うところですが、その不自然な構図によって、きれいな部分だけを享受している人の上に、なんらかの精神的なゆがみを作っているに違いない。
その歪みは、汚い部分は隠ぺいするという体質であったり、いのちを生きることの弱さであったりです。
参加してよかったとも思うことの1つに、Hさんから次のような思いを聴いたことです。
日本では原発も辺鄙なところに作って、都会の人は、きれいなところ(エネルギー)だけを享受している。この構図は、色々なところにある。米軍基地を沖縄に押し付けて、平和という綺麗なところだけを享受している。肉もの人に場で働き人に、動物を殺すという役(えき)負わせ、きれいな肉を食べるというところだけを享受している。これっておかしいのでは…とのことでした。
言われればその通り。以下は私の思うところですが、その不自然な構図によって、きれいな部分だけを享受している人の上に、なんらかの精神的なゆがみを作っているに違いない。
その歪みは、汚い部分は隠ぺいするという体質であったり、いのちを生きることの弱さであったりです。
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