『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書・2023/6/22・小林武彦著)、
以下転載です。
ヒトの老化の原因について、細胞レベルでは先ほどお話ししたように、新しい細胞の供給能力の低下、つまり幹細胞の老化の影響が大きいです。これが低下すると、臓器や組織の機能が低下していわゆる「ヨボヨボ(虚弱)」な状態を作り出してしまいます。
もう一つの原因は、細胞が入れ替わらない臓器の細胞の老化です。それは脳と心臓です。もちろん胎児のときには細胞分裂をしていますが、生後まもなく増殖を停止し、脳と心臓を構成する細胞は、その数が減ることはあっても増えることは(一部を除いて)ほぼありません。むしろ脳全体の細胞が入れ替わったりしたら記憶が維持できなくなるので大変ですね。別人になってしまいます。
「老い」は死を意識させ、公共性を目覚めさせる
ここで、冒頭で投げかけた問いを思い出してみましょう。ヒトは他の生物には見られない長い老後期間があります。なぜ進化において「老化したヒト」の存在が選択されてきたのか。
改めておさらいすると、社会性の生き物であるヒトは、家族を中心とした集団の中で進化してきました。集団の結束力で生き残ってきたのです。そこでは子育てや教育に貢献し、集団を安定させ豊かにする役割を担う「ヒト」の存在が有利となります。そうした役割を担う知識や経験豊富なヒトを「シニア」と呼ぶならば、シニアは必然的に年長者が多くなります。結果として、長寿で元気なヒトがいる集団が「強い集団」となり選択され、現在のヒトの長寿化につながっていったのです。言い方を換えれば、「老化はヒトの社会が作り出した現象」と考えられます。生物学的に表現すると「なぜヒトだけが老いるのか」ではなく、老いた人がいる社会が選択されて生き残ってきたのです。そしてこのことが本書のテーマにも通じていくのです。
さて本章の最後に、生物学的な「老い」と人の社会での「シニア」の関係について考えてみます。「シニア」には年長者が多いです。しかし全ての年長者がシニアであるわけではありません。実はそれが、私かこの本を書いている動機の一つでもあります。年長者には最終的に「いいシニア」になってもらいたいのです。いいシニアの存在が、人類の寿命を延ばしてきた理由なのですから。
私は、「老い」はいいシニアになるためにあるのだと思っています。自分が生物学的な衰えを感じ始めたら、次には死を意識します。この頃から少しずつ利己から利他へ、私欲から公共の利益へと自身の価値感をシフトさせていくきっかけにするのはどうでしょうか?
老いを悔いたり、死を必要以上に恐れたりしてもどうにもならないし、かえって元気がなくなります。いきなり180度価値観を変える必要はありません。やり残したことに全力を傾けるのももちろんいいと思います。老いを感じて死を意識したら、少しずつでも世のため、次世代のためにという意識を持つようにしたらそれで卜分です。これが後に述べる「人の老いの意味」だと考えています。
以下転載です。
ヒトの老化の原因について、細胞レベルでは先ほどお話ししたように、新しい細胞の供給能力の低下、つまり幹細胞の老化の影響が大きいです。これが低下すると、臓器や組織の機能が低下していわゆる「ヨボヨボ(虚弱)」な状態を作り出してしまいます。
もう一つの原因は、細胞が入れ替わらない臓器の細胞の老化です。それは脳と心臓です。もちろん胎児のときには細胞分裂をしていますが、生後まもなく増殖を停止し、脳と心臓を構成する細胞は、その数が減ることはあっても増えることは(一部を除いて)ほぼありません。むしろ脳全体の細胞が入れ替わったりしたら記憶が維持できなくなるので大変ですね。別人になってしまいます。
「老い」は死を意識させ、公共性を目覚めさせる
ここで、冒頭で投げかけた問いを思い出してみましょう。ヒトは他の生物には見られない長い老後期間があります。なぜ進化において「老化したヒト」の存在が選択されてきたのか。
改めておさらいすると、社会性の生き物であるヒトは、家族を中心とした集団の中で進化してきました。集団の結束力で生き残ってきたのです。そこでは子育てや教育に貢献し、集団を安定させ豊かにする役割を担う「ヒト」の存在が有利となります。そうした役割を担う知識や経験豊富なヒトを「シニア」と呼ぶならば、シニアは必然的に年長者が多くなります。結果として、長寿で元気なヒトがいる集団が「強い集団」となり選択され、現在のヒトの長寿化につながっていったのです。言い方を換えれば、「老化はヒトの社会が作り出した現象」と考えられます。生物学的に表現すると「なぜヒトだけが老いるのか」ではなく、老いた人がいる社会が選択されて生き残ってきたのです。そしてこのことが本書のテーマにも通じていくのです。
さて本章の最後に、生物学的な「老い」と人の社会での「シニア」の関係について考えてみます。「シニア」には年長者が多いです。しかし全ての年長者がシニアであるわけではありません。実はそれが、私かこの本を書いている動機の一つでもあります。年長者には最終的に「いいシニア」になってもらいたいのです。いいシニアの存在が、人類の寿命を延ばしてきた理由なのですから。
私は、「老い」はいいシニアになるためにあるのだと思っています。自分が生物学的な衰えを感じ始めたら、次には死を意識します。この頃から少しずつ利己から利他へ、私欲から公共の利益へと自身の価値感をシフトさせていくきっかけにするのはどうでしょうか?
老いを悔いたり、死を必要以上に恐れたりしてもどうにもならないし、かえって元気がなくなります。いきなり180度価値観を変える必要はありません。やり残したことに全力を傾けるのももちろんいいと思います。老いを感じて死を意識したら、少しずつでも世のため、次世代のためにという意識を持つようにしたらそれで卜分です。これが後に述べる「人の老いの意味」だと考えています。
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