仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

言葉が現実をつくる②

2015年05月14日 | 日記
昨日の続きです。

これに類すること。宣告。
 「被告人を死刑にする」と、裁判官が言う場合。「この船をクイーンーエリザペス号と命名します」と、進水式で宣言する場合。親が子どもに名前をつける、でもよろしい。すると、その名前で指されるものが、存在し始めます。宣告した内容が現実になります。
 約束。「あした、三時に、ハチ公前ね」
 三時にハチ公前で、あした、会うかどうかは、あしたになってみないとわかりません。約束の結果、双方が拘束されて、そういう現実が出現する可能性が高いけれど、それは世界を記述してるわけではなくて、約束したことを二人が努力して、実現しているのです。社会はこうやって、言葉によってつくられていくのです。
 告白。「あなたのことを好きです。」
 「あなたのことを好きです。」つていうのは、あなたが好きだという客観的事実があって、それを報告しているのとは違います。「あなたのことが好きです。」つて言うことが、あなたのことが好きですっていうこと、なのです。もしも言わなければ、好きだったことになりません。愛情は、こういう側面を持っていて、態度で示さないと、愛情があることになりません。プレゼントとか、告白とか。
 愛情もそうですが、人間関係はこうやって、言葉でつくられていくのです。好意とか、反感とか、約束とか。
 言葉を手に入れることによって、人間は、ほかの人間との関係を築いていけるようになりました。この能力のうえに、家族とか、友人とか、組織とか、いろいろなものが出来あかっていきます。最も基本的な、社会技術です。(以上)

言葉によって、人と人との関係がつくられ、「世界をつくり出し、現実をつくり出すというはたらきがある」。言葉によって未来が現実となって行くのですから、その言葉を失うことは、未来という概念そのものを考えることができなくなるのでしょう。

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