『親切の人類史――ヒトはいかにして利他の心を獲得したか』(2022/12/20・マイケル・E・マカロー著)のつづきです。
歴史を通じて湧き上がってきた、他者を援助するさまざまな理由は、三つの異なるタイプに分類することができる。第一のタイプは、あからさまに自己利益に訴えるものだ。わたしが今日あなたを助けることで、あなたは将来わたしに厚意を返さなければいけないと思うようになる、あるいはわたし自身が傍観者から称賛の目で見られたり、ギロチンを回避したり、神の祝福を得られたりすると気づいたとき、わたしがあなたを助ける動機は自己利益の増大であり、助けることで自分の信じる目標に近づけると考えるからだ。恩返しや尊敬を期待して援助するのは、直接的および間接的な互恵性を好む生得的な本能に動機づけられていると考えたくなるのはもっともだ。けれども、こうした動機が理性に由来することもある。ヒトは理性の力だけで、人助けをすれは、厚意を受け万人が恩を返し、寛大な厚意の目撃者はわたしを尊敬するだろうという洞察にたどりつくことができるからだ。
第二のタイプの理由は、やはり自己利益に訴えるものだが、第一のタイプよりやや間接的だ。こちらは個人ではなく、集団としての利益にフォーカスする、すなわち、疫病や動乱のない都市・経済的競争力のある国家、礼譲と繁栄に満ちた世界の望ましさに重きを置いた説明だ。こうした理由に基づく主張は、自分自身の福祉が国やコミュニティの福祉にどれだけ協力に結びついているか、あるいはこのグローバル化した世界において、自国の福祉が他国の福祉といかに切っても切れない関係にあるかを理解している人にとって、理にかなったものに響くだろう。
第三のタイプの理由もまた自己利益に関係するが、ここでは「自己利益」の意味が大きく拡張されている。こうした理由は、聞き手の誠実さに訴えかける。偽善者にならないこと、口だけでなく行動で示すこと、論理、数学、倫理の原理原則との一貫性を保った信念をもち、それに即した行動をとることの大切さを説くのだ。原理原則のなかには、自然権や公平性といった抽象的なものから、限界効用逓減などの経済学の法則、また行動の道徳的価値は感覚をもつ存在が経験する苦しみをどれだけ軽減したかによって決まるという、功利主義の前提などがある。
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同じように、倫理に関連するあらゆる側面において同一であるものごとは、倫理に関するかぎり同じものとして扱うべきだ。枢軸時代の黄金律は、自分が他人にしてほしいことを、自分も他人に対しせよと要請するものであり、ある領域において同一である複数のものごとは、その領域内では同じとして扱うという、先験的事実に裏打ちされている。もしあなたが、自分の欲求やニ―ズに対して、他人から思いやりのある対応をしてもらえる権利かあると思うなら、あなたの主張に説得力をもたせる唯一の方法は、かれらにも同一の権利があり、あなたも同一の義務を負うと認めることだ。かれらを別物と扱うなら、あなたは倫理的問題の解き方を誤る。すべての人は基本的な尊厳を等しくもっている、というカントの主張も、同一性の概念に依拠している。(以上)
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