仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

動物は病気を治したいと思わない

2018年07月14日 | 日記
「動物は病気を治したいと思わない」『人類は何を失いつつあるのか:― ゴリラ社会と先住民社会から見えてきたもの』(山極 寿一 対論 関野 吉晴)からの転載です。


関野 それはたしかにそうですね。動物はケガや病気を治そうとなんて、考えもしないでしょうから。
山極 ただ、ぼくはこれまで病気になったゴリラやチンパンジー、ニホンザルを数多く見てくるなかで、彼らが病気を治したいと思っているのかどうか、その疑問を抱いて観察を続けてきました。
 病気を治したいと思うには、まず前提として三つの自分の存在を意識しなければなりません。ひとつは病気になる以前の健康な自分。次に病気である現在の自分。最後に病気が治った未来の自分。その三者を意識し、比較できるかどうかが、彼らが「未来」や「目標」というものを想定できるのかどうかの判断に繋がる気がしたからです。
関野 なるほど。その話は第五章で山極さんが言われた「人間は目標を持つ動物だ」という話に繋がりますね。人間だけが目標を持って、いまの自分が将来は違う自分になるために教育をするという話と、人間は他者の評価によって生きているという話に。
 そうした山極さんの結論からしても、ゴリラやニホンザルが 将来の自分や他者からの評価を考えることはないんでしょうから、ケガや病気を治そうなんて思わないんじゃないですか。
山極 たしかに、ぼくが見た限りでも、彼らは病気やケガを治そうという努力はしません。静かに現状を受け入れる。それは霊長類だけではなく、ペットの動物も野生動物も同じです。 一方、人間はといえば、他人に期待される自分かいて、将来もそういう自分であり続けたい、あるいは再び期待されたいと願います。だからこそ、病気やケガから立ち直りたいと思って、病院へ足を運んで薬を飲む。
関野 とはいえ、ゴリラやチンパンジーには、体調回復をはかるために、ある種の植物などを食べる行動が見られるんですよね。
山極 ええ。最近明らかになったチンパンジーの自己治療法というのは、下痢をしたとき、産毛の生えた特殊な葉っぱを噛まずに飲み込む、というものです。そうやって腸の寄生虫を絡め取て排泄する。それはゴリラもやっています。ただ問題は、彼らがそれを腹痛や下痢を治したいと思ってやっているのかどうかで、そこがいまひとつわかっていません。
 一方で、私か行く森には、何らかの事故で片手や片足を失ったり、目が潰れたりしたゴリラやチンパンジーもたくさんいます。彼らを観察してみても、ひどく意気消沈しているかといえば、まったくそんなことはありません。ふだんと変わらず淡々としている。
 そんな様子を見ているとつくづく思うんですね。希望を持ったり、将来に向かって現状を、そして自分を変えようとする心を持っているのは、やはり人間だけだ、と。(以上)

コメント
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