仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

苦しみに意味がある

2009年10月23日 | 現代の病理
昨日(21.10.22)、朝日放送のお昼のワイドショーに出演していた大林宣彦監督(南田洋子さんは「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」が最後の仕事となった)が南田洋子さん死去に関するコメントを述べていた。といっても私はしっかりと見ていたのではない。居間を通り過ぎる時に、監督のコメントの声だけ耳にしたのですが。

「南田洋子が21日午前10時56分に東京都内の病院で死去したとき、夫である長門裕之さんは、東京・浜町の明治座で川中美幸主演の舞台「幸せの行方 お鳥見女房」に出演中で、最期をみとることはなかった。死に際を見せなかったことは洋子さんの思いやりだったのではないか」(意趣)

私はそのコメントを耳にして「大林さんの映画監督なのに薄っぺらな価値観だなー」という意識がよぎった。これは苦悩を歓迎しないという考え方だからだ。苦しみには意味がない。これが現代の一般的な価値観です。この価値観がどれだけ人間社会をダメにしていることか。

「無痛文明」、森岡正博さんの表現ですが、氏は苦しみや辛さから逃避して生きていくことが可能な社会は、目の前の快楽のみを享受しながら生きていく社会だと警告している。私もそう思う。苦しみや辛さを拒否することのできる社会は、快不快、好き嫌いといった表面的な感情を価値判断の基本に置いてしまう社会となり、こうした社会では、セックスやドラッグといった表面的な快楽を求める傾向になる。

人間がもつ苦悩は、価値観に深さと味わいを加味していきます。辛さを体験しなかったことを良とする発言は、苦しみには意味がないとする考えから来ています。

そして都合の悪いことは、自分以外に責任をおわせ、常に自分を安全地帯に置く。これが苦しみを悪と見る社会がつくりだす世相です。
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