20世紀の後半、特に終わりの20年は世界中で脳科学の旋風が巻き起こった。
脳科学は次々に脳の神経部位が心の諸要素を受け持っていることを解明していき、人々に「脳が分かれば心が分かる」という信念を植え付けるようになった。
ちょうどその時期、解剖学者の東大医学部教授・養老猛さんの『唯脳論』が出版され、脳科学はブームとなった。
しかし、前の記事にも書いたように、脳科学は心そのものではなくて脳が心の発生に関与する部分を解明しているにすぎない。
それでは、なぜ脳科学があれほどもてはやされ、脳が分かれば心が分かるという詐欺商法を生み出したのであろうか。
それは、古来の精神vs.物質という特異な問題設定のせいである。
古来、精神主義や二元論の信者たちは心を物質の汚濁から離れた神聖なものと受け取ってきた。
そして、これに反発する者は、そうした信念を不合理で非科学的なものとみなし、それと真逆の方向に、つまり唯物論、唯脳論の方向に奔ってしまったのである。
この不毛な二陣営の対立を最終的に乗り越えるものに前世期末の脳科学が祭り上げられたのである。
これは結局は古来の精神vs.物質という間違った問題設定に翻弄されたものであり、精神主義者と唯脳論者の双方が誤った方向に逸脱してしまったことを意味する。
脳が心の発生をサポートしていることに疑いはない。
この点で心を物質的脳から別の存在次元に置こうとする二元論は間違っている。
しかし、脳が行っているのは状態依存的な情報処理にすぎないので、心の本質たる世界の情報構造は脳の神経システムの働きをいくら調べても分からない。
それゆえ唯脳論は間違っている。
繰り返すが、心の真の発生元は、脳の系統発生を可能ならしめたのと同じ根源、つまり世界の情報構造なのである。
これが分からないと、心の本質の解明において脳科学の受け持っている仕事の位置と範囲が分からなくなる。
脳科学は重要な方法であると同時に限界をもっているのである。
このことは最近、脳科学者の側からもさかんに言われている。
それを論じた代表的な啓蒙書として、酒井克之『脳科学の真実 - 脳研究者は何を考えているのか』(河出ブックス、2009年)を挙げておく。
よく、「脳を調べただけでは心は分からない」と言うと、「それは哲学者の思弁だ」とか言われるが、もはやそんな時期ではないのである。
脳科学自体が脳科学の限界と節度をわきまえ始めたのである。
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