心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

心と脳の関係をどう考えるか(初級編)

2013-03-03 16:30:49 | 脳と心

先日、精神病(統合失調症)が疑われる若者の父親から、息子に病院へ行くように説得してほしい、という依頼を受けた。

そこで本人に会って、「その精神症状は薬を飲んで治すべき精神科領域の病気であり、基本的に脳の神経システムの不調だ」と説明した。

しかし本人は、「今行ってる歯医者には抵抗はないが、精神科には行きたくない」と言う。

自分は今たしかに精神的に不安定で幻聴や妄想があるが、それは精神の領域に属すもので薬で治すもののように思えない、というわけである。

そしてはっきりと言った。「精神って非物理的なものでしょう」と。

一体20代の彼はどこからこういう思想を獲得したのであろうか。

精神が非物理的なものであるという考え方はデカルトの心身二元論そのものである。

日本語の「精神」と「心」はほぼ同一の意味だが、「精神」のほうがより人格性や超動物的性格を含意し、「心」はやや機能的意味合いが強い。

それゆえ、自己の尊厳としての精神は物質の汚濁を超えた神聖な領域に属す、と思い込まれやすい。

心に関してもほぼ同様である。

こういうふうに素朴に精神と物質、心と脳ないし身体を別次元のものとみなす姿勢は、哲学的に心身問題、心身関係について深く考えたことのない人に広くいきわたっている。

医学部出身の哲学者ジェームズが言ったように「常識は基本的に二元論的なのである」。

おまけに彼は辛辣にも付け加えた。「通俗的哲学も二元論的である」と。

他方、心身問題や心脳問題に疎い一般人の中には「心は脳の働き以外の何物でもない」とか「心とは脳そのものである」とか「心は本当は存在しない幻想であり、物質としての脳だけが実在しているのだ」といった素朴な唯脳論的観点を保持して自得している人がいる。

彼らはドヤ顔で唯脳論を賛美し、心の存在を脳に還元するか、心の存在を否定する。

一般人に見られる素朴二元論と素朴唯脳論はどちらとも「心」という概念を深く考えることなしに、それを「脳」と同一の存在地平において捉えている(この際、心を精神に置き換えても事情は変わらない)。

まず、「脳」は有機分子によって構成された「質量をもつ物体」つまり「実体」である。

それに対して、「心」は「質量をもつ物体」としての「実体」ではない。

こう言うと、心が何か超感覚的ないし超自然的存在であるかのように解釈する人が多い。 ←ここが実は落とし穴!!

「心が実体ではない」というのはそういう意味ではなくて「呼吸や消化や代謝が実体ではない」というのと同じで生理的自然性を意味するのである。

肺や胃や腸や肝臓は実体だが、呼吸や消化や代謝は生理的「機能」であって、「実体」ではないのだ。

それと同じように、「心」は意識や記憶や感情や知覚によって構成される「機能系」であって、実体としての脳と同一の存在地平にはないのである。

それゆえ、心は呼吸や消化や代謝や排泄と同様の生理的機能であり、生命的機能なのである。

それではなぜ心は他の生理的機能と違って「精神的実体」として受け取られやすいのだろうか。

それは「心」が複数の認知・感情機能を統覚的に統制する「自我という核をもった機能的現象」だからである。

「私」という不動の一点によって統制された機能系としての「心」は、その「存在の重み」感から、容易に非物質的実体として理解されてしまう。

そして、それに反発するものは唯脳論に迎合して、心の本質を生命機能主義的に理解する機会を放棄してしまうのである。

五木寛之に『青春の門』という作品があるが、心脳問題に疎い人の心と脳の関係理解は、まさしく青春の門の前でうろうろしている未熟な青年のようである。

ちなみに、哲学者や脳科学者のなかにもこうした門前でうろうろしているような「カテゴリー・ミステイクおやじ」が沢山いる。

心というものは世界内存在(社会環境と自然環境の中で生き、行動する存在)のプロセス的機能なのであり、それは脳を超えて環境世界へと延び広がっているのである。

また、脳自体が生物進化のプロセスで生物が環境へと適応するためにそのシステムが形成された情報処理器官であり、その神経システムの構築は環境世界の情報構造を内部に移入したものなのである。

それゆえ、脳の神経システムの情報処理様式を調べて分かることは、結局環境世界の情報構造の理解を反映したものであり、脳独自のものはないのである。

環境世界の情報構造という一つの根源から脳と心が生じるのであり、両者の本質と関係を知るためには、心と脳両者の世界内存在の様式を解明し、それを生命論的に統制して理解しなければならないのである。

精神主義者や二元論者は、心を脳の働きとみなすことをカテゴリー・エラーだとかほざくが、彼らが「世界の情報構造への心と脳の等根源的共属性」を知らないのは目に見えている。

精神と脳を別の存在次元に置こうとする彼らこそ、ギルバート・ライルが言ったように、カテゴリー・エラーを犯し、「機械の中の幽霊」という心観に囚われているのである。

そして、最初の話題に戻って言えば、精神病の症状が薬で改善されるということは、心が物質に還元されることではなくて、それが君の世界内存在の生理的機能の一角に作用する、ということを意味するのである。

薬の分子構造はリセプターに作用する「情報」だしね。

あの白い球としての錠剤は単なる物塊ではなくて「情報」なんだよ。

君の人生を左右するような。

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