心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

脳の社会的相互作用

2014-05-02 15:27:31 | 脳と心

近年、脳科学は脳をもっぱら生物的ないし生理的存在として理解することをやめて、それを社会的存在として把握することを目指している。

生物の脳は、進化の過程で神経系が中枢化を推し進めて出来上がった情報処理器官であり、それは生ものの生理的臓器でもある。

人間の脳は、あらゆる生物の脳の中で最も大脳新皮質の割合が大きく、思考と記憶と意識の力において群を抜いている。

脳の内部での神経的情報処理は、神経細胞間の電気化学的信号伝達によってなされるが、その情報処理を促すのは脳の外部の環境世界からの情報入力である。

人間の脳を構成する約1000億個の神経細胞の核の中には遺伝情報を含んだDNAがあり、それによって脳内の情報処理の先天的基盤が形成されている。

この先天的基盤がないと、1+1=2も「右の反対は左」も甘いも辛いも大きいも小さいも暑いも寒いも分からない。

しかし先天的基盤だけでは意識に代表される心的機能は生じない。

心が生まれるためには先天的基盤に加えて外界からの情報入力が必要なのである。

外界からの情報入力には、自然的環境からの感覚的-知覚的情報、社会的環境からの人間関係的情報があり、後者には他人とのコミュニケーションが含まれる。

我々の脳は、乳幼児期から学童期、思春期、青年期にかけて他人とのコミュニケーションを繰り返しつつ、次第に熟成してゆく。

もちろん先天的基盤があるので、全く他人と交流しなくても、動物的な知覚と行為の能力を脳は獲得する。

しかし、言語や自己意識は他人とのコミュニケーションなしには決して生じないのだ。

前世期の中頃から急成長した脳科学は、主に成人の脳の生理的情報処理の機能に着目して研究を進めてきた。

その際、「単独の脳の神経システムにおける情報処理からいかにして心的現象がうまれるか」ということが眼目であった。

この「単独の脳」という点は何気ないが、実は注意が必要であり、落とし穴を示唆している。

医学と生物学は人間の身体の構造と機能を探究する際に、まず個体内の単独の臓器や組織を探索する。

それから、臓器間の、あるいは生理的システムにおけるそれらの位置づけを探る。

そして、全体像を得ようとする。

脳の研究もそうであった。

しかし、脳はあらゆる生体器官の中で最も環境世界へと開かれ、それとの強い関係性において構造と機能が出来上がっている。

また、脳は他人の脳との社会的相互作用なしにはけっしてその本来の機能を獲得できない。

それゆえ、脳の機能の本質を捉えたいなら、とりわけ繊細な自己意識や美感を脳の神経システムがいかにして実現できるかを知りたいなら、

単独の脳を調べているだけではだめで、複数の脳の社会的相互作用が個体の脳の機能にどのようにフィードバックするかを解明しなければならない。

つまり、脳の物質的組成や神経的情報処理の様式を調べているだけでは、脳を生理的機械とみなすに等しく、社会的存在としての脳という観点が抜け落ちてしまうのである。

これは、脳科学の合間に社会心理学でも勉強していればよい、というような悠長な話ではない。

脳科学の中核に「社会的相互作用」という観点を据えて、脳の神経システムが環境世界と相互作用する様式を「心の社会の脳内実現」として捉えてゆかなければならない、

ということを言いたいのだ。

 

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