神経科学者ベンジャミン・リベットは我々が自由意志を発動する0.5秒前に大脳の補足運動野において準備電位が高まっていることを実験の結果明らかにした。
この実験結果は、我々が有していると信じている自由意志が幻想であり、我々は神経ロボットであることを意味する、という解釈がある。
このロボット説に反発するのは、二元論者、精神主義者、現象学者などである。
そもそも自由意志、あるいは自由とは何であろうか。
「自分が生理的プロセスや遺伝子によって操られた機械であることを否定する原理」あるいは「そのように主観的に確信すること」であろうか。
そもそも自由か非自由かというジレンマが間違っている。
我々は半分自由で半分決定論的なのだ。
まぁ、それはいいとして、もしリベットの実験結果から自由意志否定ないし決定論を帰結させようとするなら、提案者リベットの自由意志も当然否定されることになる。
なるよね。
じゃあ、リベットも自己の脳の生理的プロセスに操られて件の実験を行ったのだから、その提案も結論もリベットのものではなく特許も彼には帰属しないよね。
しかし現実には彼は大見得を切って実験結果と学説を公表した。
じゃあ、やはり自由意志らしきものはあるんだ。
そう、半身を決定論と生理に浸した自由意志がね。
このことを突いた解釈はあまりないような気がする。
まだ、私自身の考えが整理できていないので、詳しい考察はまた後で、改めてします。
とりあえず下條信輔訳『マインド・タイム 脳と意識の時間』(岩波書店)を読んどいてください。
私も熟読します。