(1)米ソ冷戦時代には日本の国会も政治思想対立がはっきりして、自由主義(liberalism)の自民党に社会主義(socialism)社会党、共産主義(communism)共産党が国会論戦で激しく渡り合う構図で緊張感はあった。
安全保障問題では、自民党の日米安保軍事同盟論に社会党は非武装中立論で対抗して政治思想性がはっきり分かれていて、いいか悪いか聞いている方にもわかりやすく主義主張の善し悪しは別にしても考え方に興味と関心を引いた。
(2)当時はアジア大陸は共産主義革命中国の誕生で各地域で共産主義革命が展開されて、これに対抗するために米国は日米安保軍事同盟による沖縄米軍基地に海兵隊を駐留させてアジアの共産主義革命の広がりを警戒、牽制しアジアの自由主義国を支援していた。
ベトナム戦争が代表的な自由主義対共産主義陣営の勢力内戦であったが、ホーチミン率いる北ベトナム共産革命軍が米国の全面支援を受けた南ベトナム自由主義政府軍を撃退して、ゲリラ戦争泥沼化から米国も撤退を余儀なくされて共産主義ベトナム民族統一が実現した。
(3)日本共産党も当時は革命路線を堅持(現在は選挙による政権交代主張)していたが、社会党は平和憲法での自衛隊の存在を違憲として認めずに全方位の外交交渉力で日本の主権を維持する非武装中立論を主張していた。
非武装中立論は理想主義に根差したもので当時の米ソ冷戦時代、アジア共産化には現実的(論)でないとみられていた。それでも国会、予算委員会では当時の石橋社会党委員長は主張を堂々と展開して自民党政権と激しく政治論戦していた。
(4)首相、閣僚の問題発言で委員会が中断することもしばしばで、今とは比較にならない緊張感はあった。野党もそれなりに調査準備をしてきていた。国会爆弾(発言)男と言われた楢崎議員などは入念に事前調査で資料を集めて固めた質疑で政府側を厳しく追求する場面も印象に残る。
当時の日本の政治状況は、米ソ冷戦時代を背景に自由主義対社会主義、共産主義構図がはっきりして、自由経済、農業団体、地方の強固な保守支持基盤を持つ自民党長期政権安泰時代であり、野党第1党の社会党には政権を取ることなど展望、戦略はなく対立軸としての違いを鮮明にするだけの抵抗勢力であった。
(5)現在政治のように政策軸連携の時代ではなくて、政治思想対立時代で野党連携、編成の時代ではなかった。
少数野党は「反対のための反対」と言われた時代であったが、選挙は中選挙区制で同じ政党から複数が立候補して「人」を選ぶ選挙制度(the election must select the personality)で確固たる政治思想、理念に燃えた議員も多かった時代だ。
今回2日に公示された衆院選は小選挙区比例代表制で、個人よりは「政党」を選ぶ選挙制度だ。
米国のような2大政党政治を目指して政権交代が可能な選挙と言われている(衆院選2回続けて政権交代が実現した)。
(6)発表された比例代表の名簿にはずらりと小選挙区立候補と同じ顔ぶれが並ぶ。前回衆院選でも野党の現在党代表者で小選挙区で落選して比例代表で復活当選した議員もいる。
1票の格差問題は国民の投票権価値の公平性を損なうものだが、同じ選挙で小選挙区での国民の落選判断が比例代表復活当選で損なわれるという「選択格差」を生んでいる。
国民の負託に応える資質、能力、迫力、政治の議員がでない背景を生んでいる。
安全保障問題では、自民党の日米安保軍事同盟論に社会党は非武装中立論で対抗して政治思想性がはっきり分かれていて、いいか悪いか聞いている方にもわかりやすく主義主張の善し悪しは別にしても考え方に興味と関心を引いた。
(2)当時はアジア大陸は共産主義革命中国の誕生で各地域で共産主義革命が展開されて、これに対抗するために米国は日米安保軍事同盟による沖縄米軍基地に海兵隊を駐留させてアジアの共産主義革命の広がりを警戒、牽制しアジアの自由主義国を支援していた。
ベトナム戦争が代表的な自由主義対共産主義陣営の勢力内戦であったが、ホーチミン率いる北ベトナム共産革命軍が米国の全面支援を受けた南ベトナム自由主義政府軍を撃退して、ゲリラ戦争泥沼化から米国も撤退を余儀なくされて共産主義ベトナム民族統一が実現した。
(3)日本共産党も当時は革命路線を堅持(現在は選挙による政権交代主張)していたが、社会党は平和憲法での自衛隊の存在を違憲として認めずに全方位の外交交渉力で日本の主権を維持する非武装中立論を主張していた。
非武装中立論は理想主義に根差したもので当時の米ソ冷戦時代、アジア共産化には現実的(論)でないとみられていた。それでも国会、予算委員会では当時の石橋社会党委員長は主張を堂々と展開して自民党政権と激しく政治論戦していた。
(4)首相、閣僚の問題発言で委員会が中断することもしばしばで、今とは比較にならない緊張感はあった。野党もそれなりに調査準備をしてきていた。国会爆弾(発言)男と言われた楢崎議員などは入念に事前調査で資料を集めて固めた質疑で政府側を厳しく追求する場面も印象に残る。
当時の日本の政治状況は、米ソ冷戦時代を背景に自由主義対社会主義、共産主義構図がはっきりして、自由経済、農業団体、地方の強固な保守支持基盤を持つ自民党長期政権安泰時代であり、野党第1党の社会党には政権を取ることなど展望、戦略はなく対立軸としての違いを鮮明にするだけの抵抗勢力であった。
(5)現在政治のように政策軸連携の時代ではなくて、政治思想対立時代で野党連携、編成の時代ではなかった。
少数野党は「反対のための反対」と言われた時代であったが、選挙は中選挙区制で同じ政党から複数が立候補して「人」を選ぶ選挙制度(the election must select the personality)で確固たる政治思想、理念に燃えた議員も多かった時代だ。
今回2日に公示された衆院選は小選挙区比例代表制で、個人よりは「政党」を選ぶ選挙制度だ。
米国のような2大政党政治を目指して政権交代が可能な選挙と言われている(衆院選2回続けて政権交代が実現した)。
(6)発表された比例代表の名簿にはずらりと小選挙区立候補と同じ顔ぶれが並ぶ。前回衆院選でも野党の現在党代表者で小選挙区で落選して比例代表で復活当選した議員もいる。
1票の格差問題は国民の投票権価値の公平性を損なうものだが、同じ選挙で小選挙区での国民の落選判断が比例代表復活当選で損なわれるという「選択格差」を生んでいる。
国民の負託に応える資質、能力、迫力、政治の議員がでない背景を生んでいる。