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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

29才尊厳死。 death of dignity of 29 years old

2014-11-04 19:43:10 | 日記
 (1)人間は「生まれる」ことは自分で決めれないが「死ぬ」ことは自分で決めれる。しかし自分で決めた「死」は歓迎はされない。
 人間関係や社会的背景が洗いざらい勝手にせん索されて(原因捜査もある)、取り巻く多くの人に絶望と不信と迷惑を及ぼす。

 人間は生まれたら死に向かって「生きて」いくが、それは結果論であって、生まれたら「生きる」ことが目的であり宿命であり日常(daily)であり、生きることによって成し遂げること、得ること、失うこと、また得ることと、生きてやることがいっぱいある。

 (2)そういう人間の「宿命(fate)」が平均寿命を格段に伸ばして、今また先端的科学医学技術開発が人間の生命を無限に近くに伸ばすかのように回復、復帰、元に戻す努力が続けられている。

 子どものいじめ自死など聞くと、無限の可能性を知らずに人生の幕を早々と引く悲劇に胸が痛くなるばかりだ。

 (3)生命回復、復帰を「切に望む人」がいて、それに応えようと「努力する人」がいて、それを知らずにあるいは背いてあるいは耐えきれずに死に急ぐ人もいる、なんとも不条理(unreasonableness)な側面を持つ人間社会だろうか。

 解決策(a means of settling)は必ずあるはずだ。先端的研究開発に価値観の共有に手をたずさえて生きる、学ぶつながり、与える度量にもらう勇気、自分だけでない普通、自然なことと、生きてやること感じることがいっぱいあるが、そうはいつもうまくいかないのが人生で間違いも起きる。

 (4)北欧社会は社会保障、福祉が整備されて暮らしやすい国柄として知られているが、「尊厳死(安楽死)」をいち早く認めた社会でもある。オランダが01年に世界で初めて安楽死(a gentle and easy death)を合法化(報道)し、ベルギーが02年にフランスも05年に法制化した。

 「生きる」ことの大切さは、またパラドックス(paradox)としてそれにやむえず背くことも個人の権利として認めた人間尊重の精神性だが、結果論にすぎる。
 生きることが人間の目的であり宿命であり日常であり、そのために「努力する人」がいる以上、期待することが自然の摂理だ。自然に逆らっては人間は存在しない。

 (5)米国でもワシントン、オレゴン州など5州で尊厳死が法制化されている。その内のオレゴン州に夫婦で転居した29才の妻が余命半年の医師宣告の中で、医師処方の薬服用で亡くなった(報道)。

 彼女のフェイスブックで尊厳死を実行することを公表して、そのとおり実行して亡くなったことが世界に波紋を広げた。
 フェイスブックを使って彼女が伝えたかったことは何なのか、報道だけでは真意はわからない。書き込みには29才の自死(death of dignity of 29 years old)への躊躇(ちゅうちょ)も見られたといわれる。

 (6)彼女の判断、それを取り巻く社会の評価のあれこれはこの際置いといて、あらゆる細胞再生が可能なiPS細胞作製に世界で初めて成功したノーベル賞学者山中伸弥さんは、難病を抱える人を救うために医療実用化することが使命だと常々述べている。

 iPS細胞を使った臨床実験も始まった。尊厳死(death of dignity)への見方を変える時が来るはずだ。

 

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