(1)人口密集地域の片隅で(in a corner of urban life)、ひっそりと亡くなった人のニュースが続く。母親が死亡後に家に残され放置されていた、食事の形跡もない幼児が死亡という悲惨なニュースも聞いた。
昨年1年間に「生活保護も受けられず」に「無保険」で医療にかかる費用もなく死亡した人が70人近くにのぼった。過疎化とはいえ地方分散地域の社会生活ではあまり聞かない話だ。
人口比率と行政機能、住民の繋がり・関心のインバランス(imbalance)の矛盾、病根だ。
人口比率が一点地域に集中し、人口密集地域の行政、経済、社会ばかりが注目されて社会生活の一極集中化というなら、①集中してネット整備された人口密集地域のインターネット社会の機能性、利便性、即応性を社会生活に深くかかわらせるシステム化が求められるし、または②地方分散地域の社会生活の智恵、習慣、共助意識、文化、歴史をよく学んで、日本社会全体に行動規範(paradaigm)として広く取り入れる工夫、企画、普及が必要だ。
(2)高年令化社会への対応については、今更ながらの社会保障制度の時代対応の立ち遅れに見られるように無責任にも放棄または不作為にしてきた政治、政府の責任は重く大きいが、冒頭の事例は一過性のものではなくて今後、社会生活のかかえる共通矛盾問題として対応、解決策が急務の政治課題だ。
制度、システムが構築されないうちに、政治、政府がそれに汲々としているうちに、そもそもそのセーフティネットにかからない外れた人々の悲劇の結果だ。
地方では独自の企画でインターネット、デジタル通信ネットを整備して、山間まで等質の住民サービスを強化しあわせてこの恵まれた土地、自然、環境の整ったインフラを目当てに人口密集地域の先端的企業、事業が多数進出して、付加価値効果まで生んだ事例もある。
インターネット社会では瞬時にして世界同一情報の共有、発信、利用、加工が持続可能な社会構造で、必ずしも人口密集地域に経営拠点を必要としない時代を迎えている。こういう発想、転換が行政、経済、社会生活にも求められる。
(3)一方のプライバシー社会(society of privacy)では、近所住民のつきあいにも干渉、自由、勝手と比較ハードルも高いのが現実だ。
しかし、人間的な感知、感覚による社会生活の変化(きざし)に無関心でなく、また社会生活の変化を推し測るインターネット社会システムを活用した機能的な社会生活システム開発も進化させなければならない。
いかなる時でも生活保護も受けられずに無保険で医療にかかる費用もなく亡くなるような事例が公然と聞かれる、存在するなどという無常の世界、社会生活であってはならない。現在の政治、社会生活にかかわるすべての人にとって教訓、反省とすることだ。
(4)政治が統治能力(governance)を失って閉そく感の中、突出した「強者論理」ばかりが注目されて「弱者理論(theory by negative person)」は放置され、または不利益に追いやられていく。
頭ではわかっていても行動できない、余裕もない社会パラダイムを、ひとりひとりが問い質していかなければ、未来は「人間的」でない不条理な世界観をますます実感することになるだろう。
それは人間にとってこれ以上の不幸はない世界だ。冒頭のような事例を見るたびに、人間が見失ってきたのは、尊い人の生命だけでないことを自覚すべきだ。
昨年1年間に「生活保護も受けられず」に「無保険」で医療にかかる費用もなく死亡した人が70人近くにのぼった。過疎化とはいえ地方分散地域の社会生活ではあまり聞かない話だ。
人口比率と行政機能、住民の繋がり・関心のインバランス(imbalance)の矛盾、病根だ。
人口比率が一点地域に集中し、人口密集地域の行政、経済、社会ばかりが注目されて社会生活の一極集中化というなら、①集中してネット整備された人口密集地域のインターネット社会の機能性、利便性、即応性を社会生活に深くかかわらせるシステム化が求められるし、または②地方分散地域の社会生活の智恵、習慣、共助意識、文化、歴史をよく学んで、日本社会全体に行動規範(paradaigm)として広く取り入れる工夫、企画、普及が必要だ。
(2)高年令化社会への対応については、今更ながらの社会保障制度の時代対応の立ち遅れに見られるように無責任にも放棄または不作為にしてきた政治、政府の責任は重く大きいが、冒頭の事例は一過性のものではなくて今後、社会生活のかかえる共通矛盾問題として対応、解決策が急務の政治課題だ。
制度、システムが構築されないうちに、政治、政府がそれに汲々としているうちに、そもそもそのセーフティネットにかからない外れた人々の悲劇の結果だ。
地方では独自の企画でインターネット、デジタル通信ネットを整備して、山間まで等質の住民サービスを強化しあわせてこの恵まれた土地、自然、環境の整ったインフラを目当てに人口密集地域の先端的企業、事業が多数進出して、付加価値効果まで生んだ事例もある。
インターネット社会では瞬時にして世界同一情報の共有、発信、利用、加工が持続可能な社会構造で、必ずしも人口密集地域に経営拠点を必要としない時代を迎えている。こういう発想、転換が行政、経済、社会生活にも求められる。
(3)一方のプライバシー社会(society of privacy)では、近所住民のつきあいにも干渉、自由、勝手と比較ハードルも高いのが現実だ。
しかし、人間的な感知、感覚による社会生活の変化(きざし)に無関心でなく、また社会生活の変化を推し測るインターネット社会システムを活用した機能的な社会生活システム開発も進化させなければならない。
いかなる時でも生活保護も受けられずに無保険で医療にかかる費用もなく亡くなるような事例が公然と聞かれる、存在するなどという無常の世界、社会生活であってはならない。現在の政治、社会生活にかかわるすべての人にとって教訓、反省とすることだ。
(4)政治が統治能力(governance)を失って閉そく感の中、突出した「強者論理」ばかりが注目されて「弱者理論(theory by negative person)」は放置され、または不利益に追いやられていく。
頭ではわかっていても行動できない、余裕もない社会パラダイムを、ひとりひとりが問い質していかなければ、未来は「人間的」でない不条理な世界観をますます実感することになるだろう。
それは人間にとってこれ以上の不幸はない世界だ。冒頭のような事例を見るたびに、人間が見失ってきたのは、尊い人の生命だけでないことを自覚すべきだ。