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決定論

たいようさんから、こんな書き込みをいただきました。

ありがとうございます。

*****

やはり実感が必要なんだと思います。
すべては決まっているという実感、
すべてはひとつであるという実感、
体験することが。

*****

これに似たような書き込みは、これまで何度も頂戴してきました。

「アタマではわかるのです。ですが、実感が伴いません。体験を求めているのです」的なものも含め。


これは説明がややこしいし、反感を買いそうだし、ってんで、僕も言及を避けてきたところなのですが、とても大切なことなので、あえてお話してみようと思います。


この「人間には自由意志があるのか?無いのか?」という命題は『決定論/非決定論』と呼ばれ、昨今の精神世界に限ったことではなく、古くから、神学・哲学・自然科学・量子力学・道徳・倫理・法律などなど、さまざなま領域で語られ続けています。


まず、結論からお話すると、

「すべては決まっている」という実感、

「すべてはひとつである」という実感、

それを<わたし>が体験することは、不可能です。



なので、たいようさんが、

>でも何となくこんなものじゃないんじゃないかな、と思っています。
>自分の理解を超えたものがあるんじゃないかとなと。


とおっしゃっている通りでして。

「<自分の>理解を超えたもの」なんですね。

なので、とっても変な話ですが、いましているこの話も、「僕(黒澤)の理解」じゃないんです。


人間に自由意志はありません。

が、それを<わたし>が理解することはできません。

人間に自由意志はありませんが、<わたし>には自由意志があります。



やっぱり、「なんのこっちゃ?」って、なります?



昨日の図表の通りなんです。




「すべては決まっている」「すべてはひとつである」

これは、<わたし>というパーソナリティと、時間の観念が消えた時にはじめて理解されるもので、<わたし>が経験できるものではありません。

「<わたし>がない」「No Border」だからこそ、「すべて、そう決まっている」としか言えなくなるんです。

分離がないんだから、そこには「決めた(選んだ)」主体もなければ、「決められた(選ばれた)」客体も存在しない。

だから、「決まっている(起きている)」なんです。 これ、通じますでしょうか?


また、この言葉の文頭に「あらかじめ」や「すでに」という言葉を使うことは、厳密にいえば不適切です。

「すべては決まっている」「すべてはひとつである」というのは、「過去と未来は幻想で、今のみが実在」というステージで明るみにでる理解ですから、「あらかじめ決まっている」という「過去」を想起させる表現は誤解を招きます。

これすらも適切とは言い難いのですが、あえていえば、「いつ決まっているか」といえば、それはやはり「今、決まっている」とならざるを得ません。

だって、「いましかない」んですから。


以上をふまえて、それを「<わたし>が理解・体験しようと努力してもしょうがない」ということになるんです。

さらに言えば、この「すべては決まっている」という立場は、こと『社会性』においては、あまり有益とは言えません。

「社会」の観念が外れて、はじめて有益(苦悩との離別)に変わるものです。

「よりよい社会生活」のために、その理解を求めているのであれば、そもそもの見当違いです。

これらは「出家(世俗を離れ仏門に入る)」サイドのお話で、「在家(世俗の生活を営みながら仏道を歩む)」サイドに適用できるものではありません。

むしろ、社会生活を送っているなかで、このゾーンに入ってしまうと、おそらく、解放はあれど、少なからずのパニックになるでしょう。


一方、この「すべては決まっている」という言葉との出会いによって、理解は伴わなくとも救われる方々がたくさんいるのも、また事実でして。

例えば、「悪意なく加害者になってしまった場合」など、過去の出来事に引きづられることで、苦悩を抱えている人にとっては、大きな救いになります。

そういうことでもないかぎり、無理に深追いして「わからないということに対しての苦悩」を抱えてしまうのは、なんだか変な話で。

「好奇心で目を向ける(ワクワク)」というのと、「わかろうと必死になる(深刻)」ってのは、やっぱりステージが違うからね。

で、ついでにいうと、図表の通り、「すべては決まっている」というのは、「がっかり」というニヒリズムになるのではなく、「リラックス」の下支えになるものなので、深刻さや虚しさを抱える<わたし>には、やっぱり捉えようがないんですね。

ストイックに追い求めるほどに、遠のいてしまいます。



さてここで。

おそらく多くの皆様のアタマの上には、こんなクエスチョンが廻っていることと思います。

「<わたし>に自由意志はない。それを<わたし>が理解することはできない。じゃ、誰がそう理解しているの?」という。


これはね、実は「だれでもない」のです。

というのは、『理解とは何か』ということがわかってくると、少し見えてくるかも知れません。

お時間のある方は、これまで何度かご紹介してきた、池田晶子さんの『残酷人生論』、「わかる」の章の『「わかる」のは自分ではない』を、ぜひ今一度ご一読ください。


次回、改めて「理解」についてお話を進めます。


←あなたの自由意志で、押していただきたい。


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黒斎さん、牧野内さん、いまさらながらスピリチュアルって、何ですか?

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コチラの会場でも、新刊を発売いたします。

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※ 詳しくは主催:ローズマリーさんの告知ページをご覧ください。[詳細・お申し込み]
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