歴史のダイナミズムにおいて、その正確な周期を計算する事は難しい上に、周期計算の定数さえ、どう割り出したらいいかその方法を容易には発見できないのが通例ではある。
あらゆる主義主張は時代を突出し、いかにバランスを取っても、歴史の潮流にあって普遍的な価値を生むことは、少数の選良にのみ許されている(これを奇跡とか僥倖というのだろう)のであり、持たざる者の宿命として不可知的に身を処すということが求められる。
不可知論は、勿論「知るべからず」でも「知りえない」でもなく、ただ、外在のものを「静かに遠ざける」ことだ。人間の関係性においてこの身に馴染まないものを、できるだけ遠ざけること、と言うといささか食わず嫌いの気を感じるが、いずれにしろ人知が触れることのできるのは短い生涯ではごく限られてくる、この脳髄の容量も無限に向かってはないに等しい、要は責任を取れないことに命を懸けないこと、....どうもうまくいえないが、知ったかぶり(身の丈に合わないことをさも知ったようにやってしまうこと)は日本人の長所で弱点であり、場合によって重大な過ちの大元ともいえる。
日本人のこうした傾向が明治以来の近代にあって、とんでもないことをやらかしてしまった。鎖国を解いて世界史の渦中に入ってからおかしくなった。戦後の日本を眺めているとどうもそういう「知ってないことに知った風な口を利いた」ことから現代日本を偏頗で歪んだものに拵えた気がされる。
「無知の知」ではないが、これは謙虚ということより精神衛生にほかならないのではないか。精神の運動において、その円滑と正常を保全するのは哲学の原点たる神託「汝自身を知れ」に回帰して知るという行為に就く、ということ。
靖国も英霊も窺い知れない雲や霞である。沖縄では今でも兵隊の亡霊が見えるらしいが、それは「ありもしない幻影」というよりも我々自身の心眼にほかならず、微かにでも、ある種の歴史というのはドライな現代に蘇るのだろう。安部晋三が様々な減らず口を叩くのはどうも「下手な鉄砲」の伝で時により「袈裟の下の鎧」風情を見せたりするが、時に昂然と軍国礼賛を嘯くのでこういう危険な政権は早々に潰すのが大衆のためであろう、と知った振りをする。(つづく)