沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩422 みんなでたらめだ

2013年08月01日 21時03分08秒 | 政治論

 現自民政権に限らず恐らく多数の政党人乃至政治関係者は、9条を睨んで軍事的手段を自由化する方向性の模索に勤しんでいるのだが、概して彼らがその背景たるべき国家主義に関しては明確な論陣を構えてはいないという事実に、この国の主導的な階層にあって「民主主義」の名の下に、自己の言動言説あるいは公的な態度表明において、根本的に無責任であり続けていることが見て取れる。

 つまり日本国の憲法を、その土台のところで改変しようという行為に関する何らのパースペクティブもないままに、言わば煽情的な部分においてこの国を誘導しようという画策は、まさに先の大戦におけるナチスドイツの、空虚な観念論を振り回すアジテーションによって情感的熱狂を巻き起こし、不覚醒状態において全体主義国家気運に人民を引きずり込んだ、あのやり方そのものである。

 計らずも麻生御大は、馬鹿正直にもそういう気運に自ら巻き込まれていることを露呈してしまったわけだが、かかる無責任な参謀本部人員はこれから多方面にわたって次々と立ち現れてくるに違いない。

 腐りきった防衛省が、既に300件以上の目撃情報がある違反事実を無視し(自己判断を回避し)、米軍の厚顔な「オスプレイ飛行合意規定違反行為」に関し、事実を否定する回答でその場を凌ごうという、今回の沖縄県に対する呆れ返った対米従属行為には、今更ではあるがこの国に国防精神も戦闘士気も一切皆無なことを確認する、一方での絶望的国情を顧みないわけには行かない。

 大方の右翼的言辞には全く思想も論理も理論も見いだせず、更に言うなら何らの憂国的義憤の発露もこれを見いだせない。つまり現状においては、彼らが怒るべきは「原発再稼働」以下、でたらめを絵に描いたような規制委員会の有りよう、電力会社の薄汚いエゴイズム、であり、一向に収束も改善もみることなく、いよいよ被害が世界中の海という海に及ぼうとしている現実に対しての危機感のはずだが、これについて死にもので政治生命を擲つような国士は一人とてない。(つづく)