沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩441 沖縄ですることか!

2013年08月21日 18時40分10秒 | 政治論

 菅官房長官と山本一太沖縄担当相が相次いで「辺野古埋め立て承認」勧奨を仲井真知事に伝えに訪沖するのだが(ありきたりな、500億程度の沖縄振興予算増額アピールをして、だ)、この見え透いたお百度参りの度にやつらの行く先々で「怒」の字が目立つ旗印の辺野古反対シュプレヒコールが沸き起こる図は、江戸百姓一揆さながらに封建的な悪臭をふんだんに放出している(勿論放出しているのは権力者の方だ)。

 この事はかかる形容表現に留まらず、実際にこの国が沖縄に対して執っている国家方針そのものである。そもそもこの国に方針などは存在しない。あるのは対米的に「御説ごもっとも」を繰り返し、決して沖縄大衆に目を向けない(向けられない)この国の前近代的姿勢だけだ。

 この頑丈な、一枚岩のような壁にしかみえない日本国は、沖縄にとって実に不可解な代物である。例えば既に十二分に混淆したであろう、「琉球と日本」が生み出し、育み成心を得た現今140万県民に対し、「人種差別」としか捉えられない国家施策で応じている安全保障体制は、恐らく敗戦で掴まされた日米の従属関係そのままに、一度として見直されず延々と持続されているが、この事態を不作為に踏襲して止まない、驚くべき保守停滞性を温存する、その死滅した土性骨だ。

 これの大元は残念ながら旧帝国官僚となる。大日本帝国官僚の延長としての戦後日本の官僚機構というもの。従って、病根追及は明治維新に遡らざるを得ない。その基本は万機公論に決しはするが、その公論が決して民意に沿わない「非公」の論議であり、従ってこの「公」がいかに人民乖離しているかだ。これを官尊民卑というのだが、この前時代的な体質をこの国の官が、現代において有しているという由々しき事実である。その悪弊を見るも鮮やかに露呈しているのが沖縄県のわけで、普天間問題の無様な推移をみよ、これがこの国の真姿であり、しかも沖縄においてのみその醜態を平然と晒して恥じ入ることもない。(つづく)


詩440 「自業自得」の意味

2013年08月21日 09時33分01秒 | 政治論

 イスラエルの政府高官が自身のFBで、広島長崎の原爆を「侵略者の自業自得」と言ったというが、地元と中央政府の対応の相違がない交ぜになって、結局するに全体として低調な非核反核運動に対する痛烈な当てこすりと取ったほうが適当していると一応思われる。

 原発セールスする宰相の国が何言ってんだ、ということさ。だがその一方で強固な軍事的援助を得ている米国に対する阿りという見方もできるし、いずれにしてもこのような赤裸なネット言論が反映する世相というのに着目すると、現状においてこの国がいかにも情けないほどに理念的普遍的向上志向と無縁な、精神年齢12歳のくだらなさを呈していることを痛感するわけだ。

 世界はあの大震災原発事故の強烈で悲惨な印象をずっと持続的に有している。にも拘らずこの国の為政者が自ら軍国主義を標榜し世界戦争に加担しようとし、原発を使い続けようとしている。堕落した国家を連想しないはずはない。

 自ら火をつけて領土紛争の導火線を引いたこの国が、接続水域を航行する中国海警の動きから対中脅威を煽る馬鹿げた画策に血道をあげる愚劣極まりない外交姿勢は、どう考えても低レベルな浅はかな突出と誰でも思うであろう。おまけに「沖縄を守る」と言って与那国に軍事派遣する自己矛盾を平気でやってのけようと言うやつらのどこにも沖縄への配慮など微塵もないことは県民も今や百も承知だ。(つづく)