沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩428 アメリカ人に蔓延るだろう沖縄誤解

2013年08月08日 07時19分53秒 | 政治論

 何故ストロンチウム90が救難用ヘリに使用されるのか知らない(飛行中の回転翼のひび割れを調べるセンサー用だそうだ)が、実際使われていたかどうかはともかくそうした機体が破壊飛散炎上したならその近辺に当然に放射性物質を撒き散らし、とりわけ宜野座村北部山中にある水瓶に影響を及ぼすことは目に見えている。

 水溶性ということだから、半減期約29年のこの物質が今後降る雨水に混じって流入し、ダムを汚染する可能性が指摘されることになる。

 米軍が事実を隠蔽することは既定の成り行きである以上、是が非でも宜野座村は勿論、沖縄県が総力を挙げてでダム水質の徹底管理が求められる(と、小出裕章助教は述べている)。

 こうした不祥事が表面化するたびに、一県民の正直な思いは「こんなふうに、そこに住んでいる人々に不安感と迷惑をかけて、よくもまあ平気で居座っていられるものだなあ」、このアメリカという国は、ということだ。この図々しさ、厚かましさというものは、通常の感覚では理解しがたい。

 こうしたアメリカ人の心情を忖度するに、種々の因源が想定されるが、もし彼らがこうした県民の気持ちを本当に認知しないということなら、そこには何らかの誤解、勘違い、無関心が蔓延っているのだということになる。

 日本国と米国の間にある因縁が微妙に交錯して、沖縄県に集約的に体現されているということか。例えば原爆に関する明らかに国策的な教育によって、それを「必要だった」とする当事者たちの自己欺瞞が全国民に浸透した結果、醸成された誤った認知(と、オリバーストーン監督は指摘する)、のように。(つづく)