沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩434 敗戦

2013年08月15日 08時57分17秒 | 政治論

 戦争を知らない人間に、この国に起きた68年前の敗戦という事件について、「だから戦争はしていけないのだ」という風に、教訓的に学び悲惨さを実感し、今この国がしていること、しようとしていることで、かの戦争につながるような動きがあれば如実に危機感を持ち、あらゆる手段を駆使して自己の反戦意思を明確にする行動に出る、というようなことを望むのは甚だ容易ではないのだが、歴史学というものが、現実の政治や大衆運動に一定の有効性を発揮するというようなことが可能なら、それは結局如何に歴史的評価を痛切痛烈に体験的に語るかという部分で注力する以外道はあるまい。

 来日中のオリバー・ストーン監督もまた、日本の広島長崎沖縄を訪問して、あの戦争のことを新たに学び、史実に謙虚に耳を傾け、虚心に自己自身の体験として深く胸に刻むということをしているという。

 自国において原爆が「必要だった」と教えられ、そのように教えていることを間違いだと氏は言う。事実は、対ソ冷戦の幕開けにほかならず、大国間の駆け引きの道具に過ぎなかったし、現実に起こった一般市民の身の上の、非人間的残虐行為だけが強烈に現代に蘇るのである。

 これに関しては一切の言い訳はまことに醜悪だ。戦争を引き起こそうという政治的軍事的展開の全てが、最初に辻褄の合わない言い訳めいたロジックから始まり、客観的史実を捻じ曲げ、正直な自己体験に目を背け、脳髄でしか起こっていない戦争の必要性を殊更に強調し、領土問題に結び付けて、軍拡的な発想に水を得た「喧嘩好き」な餓鬼道をしたり顔に論う、というのが真相だ。

 何故なら彼らの大半が戦争を知らない世代なのだから。従って敗戦の現実が映像等を通して遍く現代に蘇るこの日、その現実はありのままに眼前に開陳され、人々の心奥に明瞭で確実な体験として刻印されるような、印象的なドラマを演出することだ。

 少なくとも沖縄に関して、彼ら右傾グループが危惧する軍事的脅威という言い訳は通用しない、とわかっている。彼らが軍拡すればするほど沖縄はその脅威の度合いを増すばかりであり、与那国に自衛隊を常駐することは、明らかに中国の世論を刺激し小競り合いのひとつくらいは必ず誘発する。この国は、辺境を領土侵犯の前線と見做そうとしているが、大嘘だ。沖縄はだまされてはならない。弾道ミサイルは一切を飛び越して何時でも君らの町に雨と降り注ぐだろう。それを思えば戦争の愚かしさが容易にわかろうというものだ。(つづく)