沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩432 安部政権の幼稚で中途半端な国家主義

2013年08月13日 07時31分05秒 | 政治論

 この安部政権のやろうとしていることが国家主義の名にも値しないことは、およそ日本の政体が常時史的に証明してきた政治的無責任体質を思い出せば自ずと了解されよう。

 集団的自衛権の解釈学的容認はつまり、是が非でも日米関係を対等化(戦時における共同軍事戦線の構築)し、戦後レジーム(安保体制の偏頗性片務性)から脱却し、いつでも自ら戦争手段を講じられるよう法的根拠付けることが狙いだが、最終的には核兵器製造にまでこぎつけて「核の傘」幻想を打破したいというのが本音のわけだ。

 当然こうした動きは大戦被害国であるアジア各国の有事懸念、日本の再軍備軍国復活を想像させ、石原老人の思惑通り、とりわけ尖閣からみの対中戦端を拓く導火線になろうが、この小競り合いと局地戦(与那国配備の自衛隊が主役となる)が特に沖縄島嶼を戦火に巻き込み、「沖縄戦」の再現を見ることになるし、更には(既に現代戦争事情から沖縄が本土の防波堤になることは不可能なので)弾道ミサイルの飛来が首都圏を地獄の坩堝に叩き込み、日中全面戦争の様相を呈することになろうということだ。

 もともと対中戦を想定しないし望んでもいないアメリカが、こうした安部政権の動きを危険視するのは当然で、松岡全権が国際連盟議場を居丈高に蹴って戦争の道をひた走るにいたったあの歴史が示すように、同盟国にさえ見放され孤立化のみちを歩むのは見えている。

 このような想像とは別に、所謂文民統制の効果が徐々に弱小化している昨今のメデアマスコミはじめとする言論界の脆弱化もまた別の大きな懸念材料である。朝日毎日の右寄り傾向は目を覆うばかりだし、NHKなどは完全な政府主導国営放送そのものと化した。何が起こっているのか。恥も外聞もなく己の立地を慌しく蹴立てて(大震災も原発崩壊もどこへやら)敗戦国待遇から抜け出さんと、明らかな矛盾即合一を政権力という圧力主体の勢いのままにこの数年でやってのけようとしているわけだ。悪あがきとしか言いようもない。(つづく)