沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩442 対馬丸遭難

2013年08月22日 14時57分26秒 | 政治論

 「対馬丸」遭難事件は1944年8月22日とされる。つまり今日がその69周年目となるが、折から沖縄は旧盆を8月19日ウンケー(お迎え)、20日ナカヌヒー(中の日)、21日ウークイ(お送り)と終えたばかりで所によりこの22日は「エイサー」や「盆踊り」が行われるのであろう。

 筆者の地域でも今日は「何々祭り」といった感じの催しがあるそうだ。台風12号が先島を暴風圏に巻き込んで数日沖縄に吹き荒れたがそれもいつしか大陸に去って今日はやや強い風が吹いたり雨がぱらついたりしているものの、概ね曇り空の、時折晴れ間の見える回復傾向の気象条件にある。従って宵の口から夜半にかけてはまずまず、天候に祟られることはなさそうだ。

 本土への学童疎開の児童・引率者・教師らを乗せて奄美近海に差し掛かった夜半、対馬丸は米国海軍潜水艦ボーフィンの魚雷攻撃を受けあえなく沈没、1661乃至1788名の乗員乗客中1476名の犠牲者を出した。児童の内生き残ったとされるのは59名という。

 歴史というものはその事件事故を詳しく掘り起こさない限り、多くはその悲惨さや規模などに応じて類型化され、統計化され最後には数値においてしか語ろうとしない。恐らくは学童疎開にまつわる極めて稀有で悲劇的なこの事件は、突出して歴史的な場面を後世に展開して見せるのだろうが、沖縄戦や戦後の米軍関係事件(宮森小学校米軍機墜落事故や少女暴行事件)に絡めて年少者、弱者が謂われなく犠牲になる理不尽さを、人がわが事のように思い起こすことなど望むべくもないのだろうか。

 こんなこともある。遭難から2か月後、所謂十・十空襲(10月10日)は那覇を灰燼に帰し、ここからその後の本土疎開者が急速に増えた。そして3月末以降未曾有の惨劇が沖縄本島地方を蹂躙する。戦争がそこにある限りは生死は全く予測不能の運命に委ねられる。現在謂わば何時と知れぬ墜落危険地帯に人為的に放り込まれている沖縄本島は、まさしく戦争状態に変わりはない。(つづく)



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