私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

朝から珈琲

2009-02-07 09:55:50 | ご飯ですね
毎朝、仕事前に珈琲を淹れている。櫻珈琲(清水区桜橋町)に出会う前までは、今考えると随分いい加減だった事を思い出し、ちょっと笑ってしまう。
そもそも、コーヒーメーカー(電気製品)を貰ったので、コーヒー豆を買ったりしていたのが、始まりだったから、邪道から入ってしまったのかも知れない。(笑)

同じ味の珈琲を入れるには、それなりの道具が必要だったのだ。友人の家に遊びに行くと、お父さんが珈琲を淹れてくれた。電動ミル(喫茶店で見かける小豆色の物)が台所にあり、本格的とはこう言う事なんだと思った。今考えれば、どうやって淹れていたのか、教えてもらえば良かったけれど、それは、出来なくなってしまった。

二年も使っていると、銅の取っ手に味が出て来た。


ドリッパーを陶器製の物を使っているので、この季節、珈琲の蒸らし温度が下がってしまう。
ドリッパーの上を皿の様な物で蓋をすれば良いにだけれど、なかなか、ちょうど良い物が見つからない。
試行錯誤の結果、この杯がピッタリだった。

湯を注ぎ始めてから1分を目安に蒸らす。この時の、膨れ上がり方が綺麗なドーム型になっていると、大体均等に蒸らしあがっている。これで、思った通りの珈琲になる事を想像させるが、中には失敗もある。それは、蒸らしの時のお湯の量なのだ。



蒸らしあがったら、一気に湯を注ぐ。(豆が踊らない程度)湯を注ぎ始めてから、抽出完了まで3分以内を目指して淹れている。
最近やっと味が安定してきて、2杯位までなら、それなりに抽出できると思う。

家人は、櫻珈琲で鍛えられていて、5杯分くらいをマツヤ式で淹れているそうだ。最近、上手になったらしいけれど、家では、全く上手く淹れられない。珈琲は奥が深い。

写真を撮りながら淹れたコーヒーはグスグスで、片手間に淹れられるほど甘くなかった。珈琲を入れる時は、それだけに集中する。
仕事にもそれくらいの情熱を入れて欲しいと、遠くから聞こえてきそう。(笑)
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つるし雛

2009-02-06 14:00:58 | ひとり独り言
手芸が趣味の母が、この季節吊るし雛を出して飾る。娘の成長を願う風習に、男三兄弟の自分は、申し訳ないような気がする。

日本吊るし雛の発祥の地と言われ、日本三大吊るし雛のひとつ東伊豆町稲取りの吊るし雛を、見せに連れて行きたいと思うのだけれど、年度末は何かと忙しく、未だに実行できないでいる。
いつまでも生きているとは思わないけど、時間が出来た頃は、祭りが終わっている事が多い。去年は仕事で何度か、稲取に行く機会があったので、連れて行く心算だったけれど、年寄りはそれなりに忙しく、折り合いが付かなかった。
今年も、空いている日を聞いているけれど、雨の日位しか空いて居ないそうだ。
まあ、元気が一番なので、それはそれで、良い事ではある。
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イチゴ人形

2009-02-06 06:04:09 | ぶらり仕事旅
仕事の帰り道に、国道150号線を選んだ。この季節、イチゴ農家が国道沿いに出店を開き、摘みたての苺を売っているのだ。その時、苺の風船をぐるぐる回して、客引きをしている「苺娘」の写真を撮ろうと思ったのだ。
でも、夕方5時だったので、彼女たちは、居ないかも知れないなあと、半ば諦めながら通ると、人影が見えた。


スーパーサブが文句も言わず立っていた。(笑)




昼食に、お気に入りの蕎麦屋に出掛けた。(静岡市駿河区)
店前に行くと、ちょっと雰囲気がおかしい。妙に空いているのだ。昼時は、満席なのは勿論なのだが、外にまで席待ちの客がいるはずなのに、誰も居ない。
店内に入ると、空席さえあるではないか。そばを打っている人は同じ人だったので、何が起きているのか、すぐに分からなかった。

いつもの鴨セイロをやめて、牡蠣天せいろを注文する。天婦羅は、天つゆか塩か、どちらが良いかと聞くので、「塩」を選択する。
暫く店内を観察していると、ホール係りの動きが、横柄なのだ。言っている言葉は丁寧なのだが、遠くから大きな声で言ったりして、店内が、雑然としている。随分、雰囲気が変わってしまった。

「こんな店じゃなかったのに」と思っているとセイロが先に出て来た。勿論すぐに天婦羅が来ると思っていると、蕎麦を半分も食べたのに、出てこない。(蕎麦をかなりゆっくり食べていた)
ゆっくり食べていると蕎麦が不味くなるので、天婦羅を諦めて普通に食べ始めると、辛うじて蕎麦が無くなる前に、天婦羅が「天つゆ」と一緒に運ばれてきた。これには、ガッカリした。
「塩」と言ったのに、どう成っているのだろうか。

蕎麦も、セイロに貼り付いていて、伸びている。茹でたてでない事はすぐに分かる。一体、何故こんな事になってしまったのだろうか。
これじゃあ、客足が遠のくのも仕方がない。また、新しいお気に入りを探さなければ、成らなくなりました。

蕎麦の質を維持しようとしたら、店員の質が落ちてしまったようです。
また、季節の変わり目に行ってみます。店が元に戻っている事を期待しつつ。
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昨日の鬼?

2009-02-05 11:24:47 | ぶらり仕事旅
節分の翌朝。南幹線を車で走っていると、ファミリーレストラン跡地に、鬼が二匹立っていた。昨日の節分で、逃げて来たかと思いつつ、新手の地鎮祭かとも思い通り過ぎた。車じゃなけれが、近くに寄って見るのだけれど、そこまでの余裕もなく、帰宅時には、そんな事も忘れていた。写真整理をしていてこんな写真に気が付き、まあ、季節ものだからと、UPしておく。この更地に、何が出来るのか楽しみでもある。
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めざし

2009-02-05 06:23:55 | ご飯ですね
朝、食卓に着くと、家人が魚を焼いている所だった。最近のガスグリルは、火加減もグリルが勝手に調整、然も、焼き上がり1分前からカウントダウンを始める。
焼き上がると、自動で火を消すのだった。これには、ビックリする。
そして、自分で切った事を知れせるために、ブザーが鳴る。
電気ポットも、お湯が沸くと電子音楽を鳴らし過熱をやめる。これは、音の暴力だと思う。

焼き魚料理が苦手な家人は、このグリルで随分助けられている様だった。「だって、勝手に焼いちゃうんだから、しょうが無いじゃん」と、仕上がりは、グリル任せなのだ。返す言葉が無い。

焼きたてのめざしが美味しくて、家族4人だから一人二本ずつが常識的な割り当てと思われる。
魚嫌いの母が、1本、愚息は「いらない」と言うから無し。家人も一本。結局6本を美味しそうに食べる。でも、本当に美味しからしょうが無い。
美味しそうに食べる事で、「いらない」と言った、愚息の興味を引かせる布石なのだが、なかなか乗って来ない。

「それ、おいしいの」と聞かれると「すごく不味い」と答える事にしている。
そう言われると、「本当に不味いのか?」興味が湧くのだ。(あまのじゃくの心理)。そこから、食べてみようと踏み出すまで、じっと待つ。
テレビで見ている、「魚釣り」のうな気がする。(笑)

本当に美味しい物は、食べ慣れなければ見つからないのだ。
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