静岡市清水区八千代町。静岡市立清水第三中学校(写真左側:校舎と体育館)の交差点に立つ。
以前、この道路は、今の道路巾の半分くらいしかなかった。中学校の敷地が収用されてこの道路が出来上がったのだが、当時、校庭内には背の高い松の木が植えられてあった事を思い出す。
今、松の有ったあたりを見ると、同じくらいの高さのコンクリートの電柱が立っていて、その根本には、まだ植えてから数年の「はなみずき」が街路樹として植栽されていた。
この「はなみずき」が、松の木を思い出すくらい大きくなるのには、何年掛かるのだろうか。
そして、今突っ立っている辺りに床屋があって、35~6年前には、かなり流行っていたと思うのだが、道路の拡幅と、店主の高齢化で店を畳んでしまったらしい。ちょっと、しゃれた床屋だったと思うのだが、仕方が無い。
この道は、「花みずき通り」と言って、現在、JRと静鉄を潜り抜ける道路を工事中なのだが、完成すれば、国道一号線まで真直ぐに行ける道になる。繋がったら国道一号線まで「花みずき通り」なのだろうなあ。反対側は、次郎長通りまで、「花みずき通り」だった。
写真では、全く分りませんが、道路の両側に花みずきが植えてあり、白い花が咲き始めている。
以前、この道路は、今の道路巾の半分くらいしかなかった。中学校の敷地が収用されてこの道路が出来上がったのだが、当時、校庭内には背の高い松の木が植えられてあった事を思い出す。
今、松の有ったあたりを見ると、同じくらいの高さのコンクリートの電柱が立っていて、その根本には、まだ植えてから数年の「はなみずき」が街路樹として植栽されていた。
この「はなみずき」が、松の木を思い出すくらい大きくなるのには、何年掛かるのだろうか。
そして、今突っ立っている辺りに床屋があって、35~6年前には、かなり流行っていたと思うのだが、道路の拡幅と、店主の高齢化で店を畳んでしまったらしい。ちょっと、しゃれた床屋だったと思うのだが、仕方が無い。
この道は、「花みずき通り」と言って、現在、JRと静鉄を潜り抜ける道路を工事中なのだが、完成すれば、国道一号線まで真直ぐに行ける道になる。繋がったら国道一号線まで「花みずき通り」なのだろうなあ。反対側は、次郎長通りまで、「花みずき通り」だった。
写真では、全く分りませんが、道路の両側に花みずきが植えてあり、白い花が咲き始めている。
かつて清水町の旦那衆は、その街道を芸者を引き連れはるばる礼霊山寺まで「山行き」したそうです。その様相を地元の人々は「花見好きな衆」と冷やかし、そこからこの通りの名前が付けられたそうです。
いつもありがとうございます。→隊長
地元の言葉が、道に残っているのは、歴史を感じて楽しい事ですが、語源が伝わって行かないのは、ちと残念です。地元の青年部で石碑でも建てましょうか?(笑)
真顔でもっともらしい曲説をへーきでかたりますからね(笑)。
月曜日の夕方「とびっきり静岡」でこの「花みずき通り」の特集を放映するそうです。それなら本当の答えがわかるかもしれませんね。
でも答えがまともすぎればそれも面白くないわけで、私は隊長が語る清水都市伝説が結構好きです。
隊長の話は、面白いですね。
自慢げに、家人に話しちゃいました。(爆)
よく見れば、舌ベラが出ていました。失敗、失敗。
でも、百年もしたら、ホントの事になっているかもしれませんね。花見好きが通る道として。
>地元の青年部で石碑でも建てましょうか?
こういう行き過ぎた方向になる前にネタばらしをしてくれますけど、塾長は手ごわいですぞ。
辻、西久保エリアの民話・伝説を語ったら要注意です。
しかしそれが、塾長が塾長なる所以ですけどね(笑)。「朝起き三文探検隊・いほはら」僕も参加しようかな。
そう言えば、昔塾長の話で、珈琲の原木は清水の○※△☆にあって、その気がブラジルに渡ったらしいと聞いた事があります。(笑)
その餡が甘くてもしょんばくても、僕たちはそれを柏の葉で優しく包んであげたいですね。
持ち物の中に「柏の葉っぱ」を追加します。風月堂で分けて貰おうかな。さくらの葉っぱの塩漬けも良いかも知れませんね。(何の話?)
行動力とレポート(学科試験)が評価され、このたび
正式に入隊と認められました。
(決して各方面に延棒燻製バラマキでの裏口入隊では
ありません)
今後とも宜しくオッス(体育会系か?)
先週末の櫻橋会議にて、通信所所長と昭和32年に
清水に存在した謎の「やり○○」
を現在調査中!結果は所長からの報告でお願いします。
やーず隊員が持ち運んだチーズ型燻製兵器が当方に保管されています。
また、本日○マ隊員が腕立タケノコ族をつれて来て当方の管理化にあります。
鳥居狂う~?