私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

次郎長生家

2017-07-11 14:52:27 | お出掛け日記
次郎長の生家に行って見る。
補修工事が終わってどうなったのか気に成る処です。


2013年3月に市民有志で発足した「次郎長生家を活(い)かすまちづくりの会」がNPO法人化され、2015年2月にフェイスブックで行われた「あなたの残したい建物コンテスト」で大賞に選ばれた事を機に、主催団体や生家の所有者らと補修に向け調整を重ねて来たそうだ。

補修費用は約3300万円で、コンテストの支援金とこれまでの募金を含めてもまだ数百万円の不足があるそうだ。

以前の薄暗く古めかしい室内は一新され、なんだか妙に明るいのは古い家具などが整理され、中庭からの採光が室内全体を照らしているのだった。半間しかなかった土間も広げられていた。(最初の間取りに戻したらしい)



二階が有ったなんて知らなかった。
上がっても良いらしいので早速上がって見る。

はて?梁や柱、母屋までが黒い。これは焦げた跡の様で昔は虫除けでこんな事をしていたのだろうか。
不思議に思って訪ねてみると、

この建物は昭和30年代に曳家をしていて、当時の高度成長期の雑な工事の為、土台が基礎の上に乗って居ない所が有ったり柱が斜めの儘に成って居たりそれは酷い状態だったそうだ。
そして、昭和40年代(年を忘れた)にボヤを出し部材が焦げたそうだ。ボヤと言うには随分燃えている。

今回の補修工事に当たり色々説明をしてくれて興味が湧いてきました。

二階の床を支えていた梁がシロアリで壊滅状態。支えていた事が不思議なくらいで先の大地震(3.11)で倒れていても可笑しくない状態だったらしい。だから二階を見学するなんて危険過ぎたのですね。

じゃあ何故あの地震でも大丈夫だったのか?と思いますよね。

それは隣の家がピッタリ建って居たためにそれに寄りかかっていたので倒れなかったんじゃないかなぁと補修した大工が言っていたそうだ。



棟木札に、大正四年の文字が見える。



瓦は「清水瓦」を使っていたそうで、従来の物よりも一回り小さいらしい。
巴川流域の上質な土で作られていたのだけど昭和49年(1974)の七夕豪雨で壊滅し清水瓦は生産されなくなってしまった。

古い瓦も一部残されており、二階の窓からそれを見る事が出来てちょっと嬉しい。



内壁の殆どがボードの上に塗り直されて居るのだけど、当時の儘の壁も残されている所がある。

でも話に聞くと出来た時よりもひび割れが増えて居る様な気がすると聞き、保全の難しさを目の当たりにする

古い建物を残し、それを見る事で当時を考察する楽しみが有る。見る角度によってその大事さが違って見えるから又面白い。丸太を半分に切った様な垂木なんて滅多にお目にかかれません。
コメント (4)
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