子供の頃(昭和30年代終り)、ロバのパン屋が、売り歩きに来ていた事がある。その時、ロバが曳いていたパンのショーケースに掛かっていた布の模様が、ちょうど写真に写っている、白とオレンジのストライプにそっくりだった。この日除けを見たときに、ロバのパン屋の事を思い出した。ロバのパン屋は、静岡市清水区の一部で行われていたパン行商で、「季刊清水39」に詳しく載っていた。ロバのパンの定価が10円だった事は、この本で初めて知った訳で、子供の頃、近所の八幡神社で遊んでいたら、ロバのパン屋が来たので、嬉しくて急いで駆け寄って、手持ちのお金5円をおじちゃんに差し出すと、「いつも買ってくれる子じゃないから、5円のパンはないよ」と言われた事をよく覚えている。悲しい事に、ロバのパン屋の記憶は、これだけだった。そのうちに、近所の八百屋(何でも屋)が、パンを売り始めたので、ロバのパン屋も来なくなってしまった。
この道は、旧久能街道で、写真奥が久能山を目指している。実は、このストライプのお宅は、魚屋なのだ(静岡市清水区宮加三)。昔、店先のたらい(アルマイト製)に、海つぼが沢山入れられていたことを思い出す。当時、この魚屋の裏の長屋に住んでいた。今回、旧久能街道を行く旅の、目的の場所のひとつなのだ。恐る恐る小路を入っていくと、長屋に続く道がなくなっていて、住宅が建っていた。「(それでも、当時を思い出す物は、ないかなあ)」とキョロキョロしながら歩いていると、不審者のように思われてしまったので、早々に退散して来てしまった。(余計に怪しい)
街道は残っていても、生活道路(私道)は変わってしまった。それで、良かったような、ちょっぴり寂しいような気がして、昔話が出来る友達に、会いたくなった。
この道は、旧久能街道で、写真奥が久能山を目指している。実は、このストライプのお宅は、魚屋なのだ(静岡市清水区宮加三)。昔、店先のたらい(アルマイト製)に、海つぼが沢山入れられていたことを思い出す。当時、この魚屋の裏の長屋に住んでいた。今回、旧久能街道を行く旅の、目的の場所のひとつなのだ。恐る恐る小路を入っていくと、長屋に続く道がなくなっていて、住宅が建っていた。「(それでも、当時を思い出す物は、ないかなあ)」とキョロキョロしながら歩いていると、不審者のように思われてしまったので、早々に退散して来てしまった。(余計に怪しい)
街道は残っていても、生活道路(私道)は変わってしまった。それで、良かったような、ちょっぴり寂しいような気がして、昔話が出来る友達に、会いたくなった。