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私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

医者の話

2015-10-14 05:11:00 | 治療経過
妻の認知症のような症状が進み、仕事先でも経理や一般事務が出来なくなり退職に追い込まれてしまった。(10/15退職)
9月の初め頃から顕著に成り、今では時々ぼんやり立っている姿がまるで認知症の老人の様に見えてぞっとする。

此のまま症状が停まって居て繰れればまだ良いと思い担当医に相談すると、血液で広まってしまうガンなので何れは脳に転移する事は間違いないと言う。

如何した物かと悩んでいると、

CTで脳の検査をして腫瘍が有るかどうか探し、もし有る様ならばピンポイントで放射線を当てて焼き切る治療方法も有り此辺りでは藤枝のそれが出来る病院が有ると言う話まで進んだ。

その治療法も頭が動かない様にボルトで固定して顔に防護マスクをつけて可成りの苦痛が伴う治療に成ってしまうらしい。
頭をボルトで固定する映像は見た事が有りそれでも良く成るならと一瞬思ったのだけど、脳だけ治っても肝臓が腫れている現在で果たして意味が有るのだろうかと思ってしまう。

抗癌剤が効いてくれれば認知症の様な症状も少しは改善するんじゃないかと期待しているのだけど、結果は三週間後に分かる。

転院

2015-09-08 05:45:07 | 治療経過
桜ヶ丘病院(救急当番医院)から癌治療で通っている市立清水病院に転院する事に成り、朝から、退院手続きや荷物の整理なので大忙し。退院を済ませると当の本人は救急車で清水病院に直行するので、こちらは自家用車で清水病院の救急外来に向かう。

ストレッチャーに乗せられたままの家人を見付け泌尿器科外来に向かうのだけど、其処の担当医が首をひねる。
何処も悪い所が無いらしい。桜ヶ丘病院の見立て違いって事に成るらしく、泌尿器科ではやる事が無いと言われ外科病棟に入院する運びとなった。

乳腺科の医師(家人の乳がんの治療担当)が話があると言うので乳腺科に出向くと余命半年と宣告され思わず涙が溢れ出そうになったのを下瞼で堪えた。最善を尽くすと言われても、段々強い抗癌剤を投与すると患者本人も痛め付けられるので気が重くなる。

それでも今は元気なので少しは気が紛れるのだけど、本人への告知をどうしようかと思うのでした。
担当医は近しい人には心の準備をする様に子供もにも言っておいた方が良いと言われ如何したら良いか分からないで居た。
子供の事で一番に相談出来るのは妻しか居なかったからだ。

妻にそれとなく経過を知りたいか打診してみると、担当医との話が長かった事に気が付いており(後で聞いた話)本人なりに心の準備が出来ていたと言い笑って見せた。
余命半年の宣告を受けた事を告白した。子供への話は少し先送りして置く事で一致しその日は何とか笑顔で終えられた。

人生のゴールが見えてしまったので此れからは終活に専念する様に退職を勧め、残りの生き方を充実させたいと思うのでした。
抗癌剤が効けばもう少し長生きできる旨も伝えておきました。

経過報告の記事を公開するのは妻が死んでからにする事にして、この回から非公開で書きこむ事にしました。

医者の話

2015-08-12 05:57:44 | 治療経過
主治医と今後の妻の治療(延命)方針についての面談が持たれ、ホルモン療法ではがんを抑えきれなく成った今、抗がん剤治療に切り替える事に成った。

此れは飲み薬と点滴が有るそうで点滴の方が効くと言われているが飲み薬もそれほど変わらない結果が出ているそうだ。
抗がん剤は副作用が厳しいので副作用の少ない飲み薬から始める事に成った。

2週間服用して1週間休みを1クールとして2クルールで様子を見る事とし有効であれば継続する事に成るだろう。

点滴による抗がん剤も6種類あり此れは副作用(髪が抜ける、食欲不振など)が強く出るらしいのだけど、ガンには効くと言われているそうだ。
薬は個人差があるしがんの種類によっても有効か否かはっきり出るので、果たしてどの薬が効くのか全く分からない。

医者の一言が「薬が効いた人で3年有効だった人も居ます」と言われまるで余命が3年と言われた様な気がした。

妻の質問で「勤め先の健康診断を受診した方が良いでしょうか」と聞くと

「あれは、健康な人が受診するもので、あなたの場合は私が全部見ていますから受信する必要がありません」ときっぱい仰った。

確かに無駄にX線を浴びる事も無いでしょう。

ただ、「健康な人」と言う括りに妻は入って居ないんだなとぼんやり思った。

ガンと…

2015-06-01 23:41:58 | 治療経過
家人が聞きに行きたいと言うのでNHK厚生文化事業団に申し込みをしたら入場券が送られて来た。

タイトル通りがん患者がどうやって生きて行くって話で「皆で支え合って頑張ろう」的な話に成るだろうと結果を先に決めて会場に入った。入口で渡されたアンケートには既定の事の様に「よかった」とか「明日からも頑張ろう」などと歯の浮くような事を書き込みフォーラムが始まるのを待つのでした。

一番心に残った事はどんなに医者が頑張っても「ガン患者の気持ち(心の葛藤)は、当事者にしか分からない」「がん患者の事はがん患者にしか分からない」とがん患者が言った言葉でした。

がんで子宮摘出手術をされた方の話で、見舞いに来た知人が赤ん坊を抱いて来たそうだ。もうそれが許せなくて子供を見舞に連れて来ない様に病院側に頼んだんだけど分かってもらえなかったと言い、若い女性看護師を見ただけで「この人は将来子供を産むんだなあ」と思うとそれだけで嫉妬していたと告白されていた。

パネラーの医師たちも気を付けたいと口では言うもののそんな対策は無理に決まっている。

*-*-*

資料より

ガンに伴う痛み

全人的苦痛(トータルペイン)以下の四つ

 身体的苦痛(体の痛み・倦怠感・不眠など)
 精神的苦痛(不安・いらだち・うつ状態など)
 社会的苦痛(家庭・仕事の問題・経済的な問題)
 スピチチュアルな苦痛(死への恐怖・自責の念など)

上の三つまでは周りのサポートも比較的出来そうなのだけど最後の苦痛については思う様に寄り添えないと思っています。
人は遅かれ早かれ死ぬんだ、とは言っても、秒読みの様に自分が死ぬ時期を知らされるのは耐えられない事です。

父の最期を看取った時に「もう諦めた方が良い」と言った事を思い出します。
呼吸が出来なくなっていた父は眠るように死にました。

家人をこんな風に看取るのかと思うとまだ心の準備が出来ていない事に気付く。

2015-05-29 06:10:45 | 治療経過
平成15年12月の乳がん摘出手術後、平成24年4月のがん再発から3年が過ぎた事に成る。
家人の癌は全身に転移しているので手術による摘出は既に不可能。

期待していたホルモン剤を使い切り、再発後、余命10年と言われていた期間が3年で終わってしまった。
此処から先は、新薬や一度使った薬を投与する事に成り抗がん剤も使うそうだ。全く効かないって事は無いだろうけれど、それほど期待できない。
それが証拠に既にマーカー値は上昇を始めた。

愚息が成人するまでは生きていたいと言っていた家人の言葉がなんだか空しく脳裏を過る。
次回主治医との面談に呼ばれたのでいい話の訳が無い。