笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

どこまでも有名で知名で、でも、自然に  

2016-06-02 | ざまをみろ!と開放区
連載 Vol.36『有名と無名』(MYOJO1998年5月号掲載)
   
前にも書いたけれど、1998年のざまをみろ!は、1月~4月号までは開放区に掲載無し
その代わりに、というか、5月~12月号までは、ずっと、掲載がある。
テーマのせいかな?拓哉君の精神的状態?

で、『有名と無名』は開放区Vol 48 (P222~)に同じ名前である。
文章の時期は、<February 1998>

芸名とか使わず、本名のまま仕事をしている拓哉君。
だから、部屋を借りたりとかの契約も、何かの会員証も「木村拓哉」
病院などで呼び出しをされるときも「木村拓哉」
そんな状態を、窮屈というか、めんどくせえなって思いをしたという。

それは、そうだろうね。
「木村拓哉さん・・・」って、呼び出しを聞いたら、絶対に、みんな注目するよ。


(写真の撮影場所は、磐梯山)

間違いなく、「有名人」な拓哉君だけど、「無名」という言葉にはひっかっかってる。
親からつけて貰った名前、自分たちが考えた名前があるんだから、無名=名前が無い、と言うことは存在しない
だから、有名っていうより、「知名」「この人たちは俺の名前を。知ってんだな」つて。

以前は、本名で仕事をしていて、有名というか、拓哉君言うところの「知名」な状態にひっかっかってた拓哉君だけど
プライベートの自分と仕事の自分っていうのを分けて考えるのもおかしいと思っていると1998年で言ってる。
単にプライベートと仕事の現場、そこに拓哉君自身の境はない。
違うのは、一切の責任を、プライベートではちゃんと自分で引き受けるっていうだけ。
そう思うと、本名でこういう仕事してることに対してポジティブな気持ちでいられるようになった。
って、言えるまで大変だったろう。
でも、そう言えるようになったことが、この文章を残しても良いって思った理由のひとつかも。

「名前知れたことによって、失ったものや不便になったことは全然ない」そう書いているけれど
どこに行っても、すぐに知られる。
今だと、すぐにSNSとか、写メとか・・・・。

それでも、拓哉君は普通の事を、普通にしようとしてる。
とても大変だろうけれど、それでも、自分普通だと言い、行動する。

どこまでも、「木村拓哉」であることに、自分で責任を持って。


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会報(№37)の拓哉のページ。



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