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思想の道具としての日本語

2009年10月13日 | 日本語

池澤夏樹氏(作家)の「思想の道具としての日本語」という講演の前半です。
●「漢字かなまじり」の形を生みだした日本語
 「思想の道具としての」、つまり、何かを理屈を通して考える、もののことわりを明かすというような場合の日本語の特質について歴史をさかのぼってお話ししてみようと思います。
  日本語の中には2種類の言葉があるのではないかと考えています。普段はあまり意識しないけれど、機能においてはかなり違う。簡単に言ってしまえば、古来の日本語である「やまと言葉」と「外来語」です。
  やまと言葉は名詞、中でも抽象名詞の語彙が非常に少ない。もともと新しい概念に対して新しい言葉をつくる造語力があまりなかった。そこへある時、漢語つまり当時の中国語が、最先端の文化とともに外来語として入ってきた。これは漢字というユニットを組み合わせて自在に新語をつくれる、造語力に優れた言語だった。それで日本語は、特に理屈っぽい抽象名詞について新語の生産をそちらに任せ、この種の「やまと言葉」の語彙は以後ほとんど増えなかったのです。わかりやすい例としては、「むね」「はら」「め」「みみ」はあるけれど、目に見えないその内側、「心臓」「胃」「腸」「脳」にあたる「やまと言葉」は見あたりません。
  もちろん、日本語と中国語は文法的にまるで異なるので、漢字を日本語に採り入れるためには、大変な知的工夫が必要でした。日本人は、漢字をもとにした表音文字である「かな」を創るとともに、漢字を中国語の発音どおりに読む「音読み」と、同じ意味の「やまと言葉」に強引に読み換える「訓読み」とを併用するという方法を発明し、独特の「漢字かなまじり文」を生み出しました。
  こうして日本は、漢字をメディアのひとつとして中国の進んだ文化を吸収し、それをアレンジして、独自の文化を発展させるというスタイルを確立したのです。これは、全部をゼロから自分たちで作らなくてよい、しかも自分たちの文化の独自性も残せるという、とてもうまいやり方だったと思います。
  そして、「漢字かなまじり文」を駆使した優れた思想家も数多く現れました。空海、道元、親鸞などの仏教思想家、ユニークな自然社会主義を唱えた安藤昌益や富永仲基などなど、枚挙にいとまがありません。すなわち、日本語は思想の道具として十分に機能してきたといえます。

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論評ーーーー
  池澤氏は漢字は中国語即ち外来語として説明をされています。これは一般的に受け入れられている考えとは思いますが漢字は「はは」、「ちち」、「やま」、「かわ」、「かぜ」、「うみ」、「あめ」、「ゆき」、「ころも」、「こころ」、「おとこ」等の大和言葉を表すために使われています。即ち「母、父、山、川、風、海、雨、雪、衣、心、男」です。漢字は大和言葉を表すために使われています。「ひらがな」が大和言葉を表すために使われているのと同様です。漢字は中国が発明したものですが日本語の表意文字になっているのです。
  漢字は中国が生み出したものです。こういう優れたものをそっくり日本語表意文字として頂くことは自然で、楽な方法です。日中で同じ漢字を使うのは多くのメリットがあります。中国製の漢字はたくさんありますが日本語の必要性を満たすには十分ではありませんでした。不足する分は日本人は勝手にたくさんの国字(和製漢字)を作っています。その数は1万字になります。
 では日本語表意文字を使ってつくられた新しい単語は中国語でしょうか。「海風(うみかぜ)」、「東風(こち)」、「雪男(ゆきおとこ)」、「川魚(かわざかな)」などは大和言葉といって誰にも依存はないでしょう。「独立(どくりつ)」、「人民(じんみん)」、「宣言(せんげん)」、「共和国(きょうわこく)」は中国語でしょうか。これ等は全て日本で作られた漢語で中国人が日本から輸入して使っている単語です。こういうのは外来語とは言えないでしょう。ところが日本語の中ではこういう外来語と言えない漢語が大部分なのです。漢語の8割から9割は外来語と言えないものです。
 日本語では漢語が大和言葉と同じ容易さで理解できるのでかなりの部分の新語は漢語に依存するようになりました。これがなければ全て大和言葉で新しい単語を作ったはずです。大和言葉もそれなりに造語能力があるはずです。
  漢字かな混じり文では訓読みが許されているため、漢字に関しては翻訳は必要ありません。 山は「やま」、海は「うみ」です。したがって漢語は大和言葉と同じ程度に意味が明白といえます。これは漢語も大和言葉の一部と考えるべきであることを示しています。
  ここの辺の事情は漢字かな混じり文が成立したときに漢字を使った豊かな造語能力が日本語に備わったと解釈しています。漢字かな混じり文が成立後、多くの漢語が作られましたがこれは外来語ではなく日本語であると考えればいいと考えています。ほとんどの漢語は日本人が最初に作ったものだからです。
  漢字は日本語の中に取り入れられましたが重要な点は大和言葉の基本は変わって居ない点です。日本製の漢語がたくさん使われるようになりましたが大和言葉の基本は変わっていません。大和言葉に訓読みと漢語による造語法を加えた漢字かな混じり文が日本語の書き言葉ですが、思想の道具として充分役に立ってきたことは池澤氏の指摘の通りです。

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