万葉仮名は和歌を表すのに漢字をあてたものです。当て方は音読みと同時に意味が同じであれば訓読みに相当する当て方も使っています。日本人は文字を持っていなかったが表現する対象(即ち和歌)を持っていたといえる。漢字が入ってきたときに日本人は漢字を使って和歌が表せないか考えたのである。 漢字が伝わるよりずっと昔に和歌は主として声高に吟ずる形で存在していたのではないか。漢字が入って来ることでこれを表現しようと言うのは自然なことである。万葉集は万葉仮名といわれる漢字だけの当て字で表現されている。
その解読は現代人にもそう難しくない。江戸時代には契沖や本居宣長などの活躍によりほとんどの万葉集は解読されている。現在我々が読む万葉集は万葉仮名ではなく漢字かな混じり文で書いてあるが元々は漢字だけの万葉仮名で書かれていた。4500首に上る和歌はほとんどが解読されている。正確にどう読んでいたかを決定するのは古語に関する知識が必要であり、言語学者の間で論争が続いているが大方は意味不明の部分はないといえる。1200年以上前に作られた言葉が現代にも理解できると言うのはすごいことである。
水村美苗氏は普遍語を翻訳することで書き言葉が生まれるとしていたが和歌という我々の文化を表現するする過程で日本語は生まれているのである。英語、フランス語、ドイツ語はラテン語という普遍語を翻訳する過程で書き言葉が生まれたと言うのは正しい。日本語に関して言えば書き言葉が生まれたのは倭歌を表現するために万葉仮名が生まれ、平仮名、片仮名が生まれ最終的には漢字かな混じり文が生まれたのである。中国語を日本語に翻訳する過程で書き言葉が生まれたのではなく、倭歌を表現する悪戦苦闘の中で日本語は生まれている。日本語では表現されるものが普遍語であるとすれば倭歌が普遍語なのである。これは水村美苗氏が普遍語(=中国語)を翻訳する過程で日本語が生まれたとするのはとんでもない事実誤認である。
しかし語尾が揃っていry