「第2次世界大戦は防衛戦争だった」、という説がある。
これは間違いなく、戦後の平和教育の産物だろう。「侵略戦争と防衛戦争は区別できる」。「侵略戦争は悪で、防衛戦争は善」。「侵略は絶対やってはいけないし、過去においてもあってはならない。だから大日本帝国も、侵略を犯していない」。
だが、果たして侵略と防衛を区別できるのか。これらは同一の戦争の二つの側面に過ぎないのではないか。
また、防衛というものは、侵略があって初めて成り立つ。侵略は防衛の生みの親だ。悪が善を生み出すなどということが、ありうるだろうか。
たとえば韓国の祖国解放神話は、大日本帝国の植民地支配抜きには、成立しない。これらは両方とも、神聖なる歴史である。
・・・・・・以上はもちろん、「詭弁」だ。論理ばかりで、倫理を置き去りにしている。だが、戦争の記録映画を考えてみよう。敵味方が激しく殺し合っている。そのどちらが侵略する側で、どちらが防衛する側なのか。それは、一目ではわからない。
侵略も防衛も、「相手の意志をねじ曲げて、自分の意思を押し通す」という点では変わらない。悪は悪を呼ぶ。そして、二つの悪のうち、より強大な方が勝つ。
「侵略か防衛か」よりも、「どちらが戦勝国か」の方がはるかに重要だということが、見落とされている。前者は「歴史についての解説」に過ぎないが、後者は「歴史そのもの」だからだ。日本人の思いとは関係なしに、アメリカ人の大部分はB29による無差別大量殺人を、「世界の自由と民主主義をファシストから防衛するための行為」だったと考えている。
だが、遅かれ早かれ戦争になる。ひたすら勝利のみが追求され、解説は忘れ去られるだろう。