3ヶ月かけて、読み終えた。
前にも書いたが、コーラン独自の内容は、少ない。ノアとかモーセとか聖書のエピソードを引用して、神の教えを守らないと神罰が下る、と脅迫する。ほとんどこの繰り返しだ。
ただ、「最後の審判」の描写は、聖書よりもコーランの方が具体的でわかりやすい。その日にはすべての死者が墓から復活し、神の裁きを受ける。神の教えを守った者は天国に行き、守らなかった者は地獄に落とされる。
もっとも井筒俊彦先生によれば、この部分はシリア教会の聖者の説教文からの影響が大きいという。
岩波文庫のコーランは上中下の3巻から成っているが、とりあえず下巻だけ読んでおけば、十分かもしれない。なにしろ同じ内容の繰り返しが多いし、巻末の井筒先生の解説がためになる。それを読んでわかったのは・・・。
「マホメットは商人出身だから、イスラム教はもともとは平和的な宗教だった」。そんな俗説があるが、とんでもない。彼は、それまで一切の戦闘が禁じられていた神聖月に、敵対するメッカの隊商を攻撃した。目的のためには手段を選ばない。そういえば、日本にも商人出身の斎藤道三という人物がいるではないか。コーランにも書いてある。「もし汝らが戦場で死んだり殺されたりした場合、必ずアッラーのお傍に呼び集めて戴けるのだぞ」(3、152)。
「イスラム教の発展は、マホメットの妻ハディージャの貢献によるところが大きかった。だから、イスラム教における女性の地位は低くない」。そんな話を聞いたこともある。だが、マホメットが25歳ころに大金持ちの未亡人ハディージャと結婚したのは、彼が宗教に目覚めるずっと前の話だ。ハディージャは、メッカの交易商社の経営者だった。当時のメッカは偶像崇拝の総本山だったが、女性でも腕があれば活躍できる社会だったという。その後のイスラム教社会で、果たして女性の地位は上がったのか、下がったのか。
ハディージャの死後、マホメットは大勢の妻妾をもつようになる。ある日、奴隷と浮気している現場を妻のひとりに見られて・・・といったエピソードも下巻には出てくる(66、1)。それだけハディージャの存在は大きかった、のかもしれない。