「エロティシズム」

2015-07-08 18:09:28 | 

を読む。ジョルジュ・バタイユ著。ちくま学芸文庫。
 
 人間の社会には、さまざまな禁止がある。たとえば、殺人やセックスに関するもの。だが、バタイユによれば、禁止は侵犯の前触れだという。禁じられた行為には、人間を魅了する強烈な力がある。死やセックスによって、人間は不連続的な個体から脱け出して、存在の連続性を獲得することができるのだ。
 また、禁止は理性の産物のように見えるが、その根底には侵犯と同じく、情動がある。不安や恐怖といった消極的な情動が禁止で、それらを乗り越えようとする積極的な情動が侵犯。人間は、これら二つの情動の間で絶えず揺れ動いているのだ、という。

 ユングの説に似ているのにゃ。ユングによると、「人の心は補償的に動く」。つまり、「極端から極端へと振り子のように動く」。 

 また、フロイトの「原始語のもつ逆の意味について」を連想させる。かつて言葉は、同時に逆の意味内容を含んでいた。いや現代においても、人間が持つ観念は、同時に逆の意味内容を含んでいるのだ、という。

 つまり、「人を殺してはいけない」という命令の根底には、「(場合によっては)人を殺せ」という命令が潜んでいることになる。

 日本のことわざにもあるのにゃ。「いやよいやよも好きのうち」、ってにゃ。 

 いろいろと、気になる言葉が。

 「生は本質において過剰さだ。生とは生の浪費のことだ。生は限りなく自分の力と資源を使い尽くす。生は、自分が創造したものを際限なく滅ぼす」。ショーペンハウアーの「意志」?

 「この孤立は、個体たちが互いのなかに迷いこむあの果てしない無秩序にー個体の暴力ゆえに死の暴力に開かれる果てしない無秩序にー対立している。しかしその反動として、返す波のような禁止の後退があって、それが押し寄せる波のような豊饒な情欲を解放し、狂躁において存在者たちの無制限の融合を惹き起こしていたのである」。レヴィ・ブリュールの「神秘的融即」?
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