塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

エウゼビオが感じた誇り

2021-11-08 20:56:24 | 日記
 今のサッカーファンでポルトガル代表といいますと、マンチェスター・ユナイテッドに在籍する2選手、ロナウドとブルーノ・フェルナンデスを連想しますよね。

 以前から好きな方は

 2000年代 ルイス・フィーゴ、デコ、ルイ・コスタ、ペペ、ジョルジュ・コスタにヴィトール・ヴァイア
 1980年代 パウロ・フットレ ウンベルト・コエリョ ロイ・バロシュ

 が思い浮かぶと思います。

 ロナウドが同国の最多得点者として認知されていますが、それ以前はボルドーとパリ・サンジェルマンで活躍したペドロ・パウレタが有名でしたし、何より「エウゼビオ」の名前をおろそかにはできません。

 ロナウドがエウゼビオの記録を更新した際、この伝説の名手は

 「私が代表選手だった時は、ルクセンブルク代表と試合をすることはなかったよ」
 
 と漏らしたそうです。

 そう、前回もお話ししましたがサッカーが民主主義的発想、つまりサッカーそのものが盛んでない地域への普及活動、ワールドカップ出場国を増加させることで、得点の記録は大きく変化しました。

 エウゼビオの時代は欧州ならばイングランドやイタリア、スペインにユーゴスラビアなど、今は独立国とすて分断される国もなければ、リーグが盛んなエリート集団のみと戦っていました。

 簡単に言えば、「格下」という発想はなかった違いりません。

 エウゼビオはロナウドを祝福しながら遠回しに

 「私の時代はもっと厳しかったよ」
 「その厳しい時代に生まれた記録と記憶だ」

 という自身の鍛錬を結果を、誇らしげに思い同時に周囲もそうあってほしいと感じたのでしょうね。

 そのポルトガルもロナウドの引退後は「顔」を失う形になりますから、今からその時の準備をしておく必要はあると思いますよ。
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1 コメント

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Unknown (セルジオ越路)
2021-11-08 21:42:57
懐かしい! 「ポルトガルの黒豹」の異名だった。
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