塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて思う日本人選手の価値

2017-10-29 00:34:35 | 日記
 日本代表の柴崎岳が所属しているヘタフェは、ホマと契約を交わしています。

 ホマは現在サンプドリア、エスパニョール、バレンシアなどにジャージを納品していますが、柴崎の活躍で日本市場でもっと注目を集めるであろう現在の状況を、むしろ静観している印象です。

 それはマインツと契約しているロット、も同様なのですが、これはある意味

 「日本人選手の獲得で知名度を上げたい」
 「販路を拡大する絶好の機会」

 という観点ではなく、純粋な戦力、人材としてふさわしいという考えに現地が変化しているためではないでしょうか。

 中田がペルージャに移籍した際、ガレックスがものすごい数のジャージを投入しました。

 結果ナイキに移籍しましたが、彼が個人契約していたフィラのファッシノは、黄色い「F」のロゴと相まって、非常に注目が集まり、復刻版が最近登場したほどですよね。

 クロノスのジャージが今でもカルト的な人気があるのも

 「名波やヴェネティアでプレイしていた際に着用」

 という面が大きいことが間違いありません。

 それだけ日本人選手が日本市場に与え続けた影響が大きいという証拠ですが、逆に戦力としてリーグ戦で活躍する方をクラブが求めているということは、1998年以降地道に欧州で選手たちがプレイしてきた経験。

 これが認知されている、素晴らしい事柄だと思います。

 久保と森岡の移籍でベルギーが再びJ1に注目し、中島の移籍でポルテモンセというポルトガルのクラブが商売上手、ということも伝わりました。

 今後はより多くのスカウトがJ1を視察するのでしょうが、商売目的の数は間違いなく減っていると考えられます。
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サッカーはあらゆる感情を超越するのか

2017-10-29 00:13:23 | 日記
 サッカーは時に感情を超越すると思いますね。

 今僕が読んでいる新潮文庫「ローマ亡き後の地中海世界」の最終巻となる4巻は、オスマン・トルコがマルタに陣取る聖ヨハネ騎士団との闘いが描写されます。

 1493年コンスタンティノーポリスの陥落
 1529年ウイーン包囲
 1571年レパントの海戦

 というように、イスラム教とキリスト教は過去、幾度も戦闘を繰り広げていますが、例えばトルコ代表がオーストリア・ブンデスリーガに移籍することで、ファンが嫌悪感を抱くことは無いと思います。

 これがすでに過去400年近く昔のことである、という見解もあるでしょう。

 では先の大戦で多くの死傷者を出した東南アジア、欧州にしても

 侵略されたオランダやチェコの選手たちがブンデスリーガに参戦する
 侵略した日本の選手が韓国でプレイすることを決める

 と感じた際に、過去の戦争、軋轢は気にするでしょうか。

 もし僕が選手ならば、間違いなく念頭に置くでしょう。

 例えばロシアリーグでプレイする、単純にモスクワやサンクトペテルブルクに旅行することになっても、シベリアで日本人捕虜が使い捨て労働の犠牲として息絶えたことは感じると思います。

 でも、選手たちも受け入れる側も、建前かどうかはわかりませんが、負の感情を抱かせる発言はしません。

 それはサッカーが世界規模で行われている競技であり、マイナスの感情をプラスに転換できる要素がいくらでもあるからでしょうか。

 もし世界大戦が無ければ、1938年のイタリア大会から1950年のブラジル大会まで間隔が空くことも、1954年のスイス大会で、敗戦国西ドイツの優勝が復興の道しるべになることもなかったはずです。

 1962年のチリ大会は大地震の影響が懸念されましたが無事開催されました。

 僕たちは改めてワールドカップやサッカーが天災や戦争の影響を受けていることを考えるべきではないでしょうか。
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