塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モウリーニョから見る静寂と喧噪

2017-10-05 00:38:50 | 日記
 文春新書から発売されている「ローマ人へ20の質問」の55ページに、このような記述があります。

 「このハンニバルが、最後の戦闘になるザマの会戦でローマ軍を指揮する若き武将スキピオに、面と向かってこう言われます。」
 「あなたは、平和の中で生きることは何よりも不得手のようだ、と。」

 平和を静寂と言いなおすならば、ハンニバルの姿はどこかモウリーニョと重なる気がします。

 僕は過去、モウリーニョはカエサルのような存在ではないかと感じていた時期があります。

 カエサルと言えば

 1・軍事力でも統治力でも抜群の冴えを魅せた
 2・ガリア戦記のように、卓越した文章を記す
 3・女性からの支持が抜群であった

 事は後世の資料からもわかっています。

 モウリーニョがポルト、インテル、チェルシーで魅せた統治(選手に明確な目標を与え、戦術を与え続ける)、と選手からの抜群の信頼、幾つもの単行本にみられる明確な知識。

 これらを踏まえると、どこかカエサルはこのような人物では無かったかと思えたのです。

 ただ、現在のモウリーニョは静寂よりも、喧噪、それは自身が指揮するクラブの成績や選手層に関してメディアや代理人だけでなく、選手個人とも欧州することを顧みて、ハンニバル的と感じたわけです。
 
 ハンニバルはピレネーを象と共にわたり、イタリア全土を震撼させましたが、モウリーニョも4-3-3、4-3-1-2など布陣を組み替えることで有名です。

 ハンニバル、カエサルのいずれも部下から絶大な信頼を得ていましたが、モウリーニョもテリーやドログバ、ランパードから受けた敬愛は特筆すべきもので、その中にはイブラヒモビッチも加わります。

 モウリーニョの生活に静寂が訪れるならば、それはファーガソンのように指揮官として生きてゆくことをあきらめるときで、その時期は遥か先であることを思えば、やはり彼に平和は不似合いなのかもしれません。
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配色という周囲に与える大切な要素

2017-10-05 00:29:53 | 日記
 我が母校山梨学院大学は、高校サッカーでも箱根駅伝でも、コバルトブルーという鮮やかな青のジャージを纏います。

 一方で卒業生である僕の印象は、大学の建物にみられるレンガ色であり、象徴する色、という点では隔たりがあるんですね。

 2015年の春以来、母校を訪れてはいないのですが、来年の春には再度訪問したいと考えています。

 ここでお話ししたように、象徴する色というのはスポーツにとっても意義あるものです。

 イタリア代表がアズーリと呼ばれる地中海ブルーを纏うことは有名ですが、これはカルチョに限らず全ての競技で変わりません。

 それはカルチョが最もイタリアを代表する競技であるために代名詞のような扱いを受けるわけですが、仮にプーマとの契約を終えて別企業が提供することになっても、色彩に変化を加えることはできません。

 ですから、日本代表が過去、赤のジャージをアシックスから提供されていたことは、今思うと大胆だったと思います。

 今でこそサムライ・ブルーとアディダスは連想ゲームのように一致しますが、過去はアシックス、プーマとの持ち回り作業でしたし、

 2002年の富士山
 2006年の刀
 2014年の円陣

 のようなテーマは、アディダスの専属だからこそできた形です。

 今でも「日の丸」を連想させる赤の方が良いという意見が聞こえるのは、多くの代表が国旗からジャージの配色を決めているためで、なるほどと思う部分はあります。

 一方で日本サッカーの象徴色は青、という観念も覆すことはできません。

 協会が主導となってエンブレムの変更は見られますが、配色に変更が無いのはそれだけ周囲の印象が大切という意味だからでしょうね。
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