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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

パルマの財政破たんについて感じる事

2015-05-19 17:39:31 | 日記
 2015年イタリアを沸かせた問題は、ユヴェントスの完勝劇よりも、パルマの未来が閉ざされたことでしょうか。

 パルマが1990年代から急激に実力を上げた背景には、乳製品の大手「パルマラット」の存在がありますが、パルマラットはパルマだけを支援したわけではありません。

 スペインではレアル・マドリード
 ブラジルではパルメイラス

 というように、スポンサー・シップは多国籍に及んでいたのです。

 ゾラ、アスプリージャ、ストイチコフにクレスポ。

 各国代表を続々と加入させるその財政規模は、ある種現在のチェルシーやマンチェスター・シティーの先鞭という見方もできるでしょう。

 スクデットを獲得することはできませんでしたが、コパ・イタリア、カップ・ウイナーズ・カップ、そしてUFEAカップと幾度もトロフィーを掲げたパルマ。

 彼らはウディネーゼ以前に

 「イタリアでもっとも優れた地方クラブ」

 でもあったのです。

 スポンサーもアンブロ、プーマ、ロットと有力ブランドが手掛け、中田在籍時はチャンピオン、近年はエレアからジャージの提供を受けていました。

 エミリア・ロマーニャ州にあるパルマは、ローマ、ナポリのような喧噪とは程遠く、駆け出しの選手には最適な環境と讃えられたものです。

 セリエAは18クラブで運営することを決めた模様ですが、果たしてパルマのような財政破たんを考慮しての決定なのでしょうか。
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続・病に倒れた選手達

2015-05-19 17:28:57 | 日記
 欧州王者として来日する可能性があるユヴェントス。

 クラブ広報としてのトレゼゲだけでなく、デルピエロも応援の為に同行するかもしれません。

 もし彼らが年末来日したとすれば、関係者としてとあるふたりの選手が注目されたかもしれません。

 それはかつてリベロとして君臨したガエタノ・シレア、もうひとりはパオロ・マルディーニと共に、イタリア代表のレフト・フルバックを争ったであろう、アンドレア・フォルトゥナートです。

 もう両者ともに他界していますが、後者はわずか24歳での死去でした。

 アンドレア・フォルトゥナートは、アリゴ・サッキ政権でアズーリにも招集され、アメリカ・ワールドカップのエントリーも有力紙されていましたが、実は急性リンパ白血病を患います。

 そして体力が落ちていたときに急性肺炎を起こし、帰らぬ形になりました。

 この事情は

 「日本スポーツ企画出版 伝説のライバル」

 106ページから109ページにかけて、ワールド・サッカーダイジェストでおなじみのパオロ・ファルコリン氏が記事を執筆しています。

 僕たちはイタリア代表の左サイドとして、連想ゲームのようにマルディーニを思い浮かべ、ある意味無風状態でした。

 しかし、90年代前半イタリアにはもうひとりの有力選手が確かに在籍したのです。

 イタリアと言う国はサッカー選手が世論を二分します。

 1・リベラかマッツオーラか
 2・バッジョかデルピエロか
 3・トルドかブフォンか


 と言う具合に、お互いが常に持論を展開し、一歩も譲りません。

 2000年、2001年のローマでは

 「ヒデかトッティか」

 という議論も沸騰したように、ファンと批評家は自分が優れた審美眼を持つと確信しています。

 前回、病と選手の関係をお話したので、今回も僕が気になった選手を題材にしてみました。
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突然の病に見舞われた選手たち

2015-05-19 02:02:00 | 日記
 週刊ジャンプを代表する人気漫画「ニセコイ」

 主人公の一条楽を振り向かせるために、常に全力で気持ちをぶつける橘万里花が先週号と今週号の主役です。

 シナリオでは幼少時から体が弱く、成長した今でも病は完全に治ってはいないという素振りが今まで幾度か描かれてきましたが、今週号の終わりは今までにない、スリリングなものでした。

 僕も幼少期は体が弱く、運転免許を持たない母は、僕が病気になると勤め先に頭を下げ、僕をおぶって病院に幾度も脚を運んだものです。

 今、電車の中で赤ん坊を背負う母親など全くみませんが、昭和50年代はよく見かけた光景です。

 サッカーでも、病に倒れる選手が多くなりました。

 印象深いのは2010年のワールドカップ決勝のイニエスタでしょうか。

 幼いころから付き合いのあったダニ・ハルケが他界してしまい、彼への気持ちをTシャツにしたためた彼は、決勝のオランダ戦で得点を奪った瞬間、その伝言を見せずにはいられませんでした。

 また、日本代表も出場した2003年のコンフェデ杯。

 フランスで行われたこの大会で、カメルーン代表フォエが心臓発作で突然倒れてしまい、この世を去ると言う、衝撃的な光景が全世界を駆け巡ります。

 マルコ・ファンバステン、ロベルト・バッジョのように、類まれな技術を持った選手に対して厳しいチャージ、タックルが見舞われる事は、まだ心情的に理解できます。

 しかし、自分の目の前にいる選手が、突然

 「ピッチに倒れ込む瞬間」

 を目撃した選手も、心身に大きな負担を背負う形になります。

 インテル移籍の際、心臓疾病が発覚したのがナイジェリア代表のカヌでしたが、メディカル・チェックが今のJリーグではどうなっているのか、気になるところです。
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法人か、それともライセンスか

2015-05-19 01:39:00 | 日記
 当たり前と言えばそれだけですが、日本で商品展開する海外スポーツブランドは、法人を設立します。

 ナイキならナイキジャパン、プーマならばプーマジャパンと言う具合です。

 一方で三陽商会とバーバリーとの契約終了が話題となったように、ライセンス展開で事業を進めるブランドもありますね。

 アンブロとル・コックがデサントを経由している事は有名ですし、ロットも衣料品の一部をカイダック・ファミリーに委ねています。

 1990年代まではライセンスが標準規格で

 1・アディダスはデサント
 2・プーマはコサ・リーベルマン
 3・ナイキは日商岩井

 を窓口に、商品展開していましたし、フィラはカネボウが「カネボウ・フィラ」という形で日本市場を担っていました。

 日本は海外ブランドからすれば、働きやすい方だとは思います。

 日経新聞が4月いっぱい連載していた「ニトリ」創業者、似鳥社長の「私の履歴書」が大きな反響を呼びました。

 氏によりますと、インドネシアで事業を起こした際、現地の従業員が搬入した機械を勝手に持ち去り、売却してお金を勝手に懐に入れてしまい、むずかしさを痛感した、という項目があったと記憶しています。

 彼らからすれば

 「自分さえよければ他人など構うものか」

 という形なのでしょうか。

 少なくとも日本では従業員が機械や備品を売却すると言う行為は考えにくいですし、鉄道、高速道路が発達し、物流が滞るとは思えません。

 遅刻、早退もなく皆生真面目に働きますし、法人税や出店場所などは吟味すべきでしょうが、今後も法人設立で日本上陸を担うブランドが現れるように思います。

 

 
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