塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにおけるファン・プロモーションの概念

2015-05-12 01:40:15 | 日記
 最近サッカーを見て思う事は

 「用具に限定して言えば、消費者はブランドが手掛ける品質よりも、映像やファン・プロモーションの内容で判断しているのではないか」

 というものです。

 例えばナイキのリスク上等は愛用者では無い僕が見ても面白いもので、なるほど、部活に励む学生さんは相当感化されたのではないかと感じます。

 また、今年の春先、アディダスがウルグアイ代表スアレスを起用した

 「ビイ・ヘイターズ(僕が訳すならば、嫌らわれ者になれ!!9」

 キャンペーンが印象深いですね。

 確かにコパ・アメリカで優勝を狙うウルグアイ代表にとって、スアレスほど頼りになる存在はいないでしょうし、ファンにとってもエディンソン・カバニと奏でるハーモニーが期待されるところです。

 しかし、ウルグアイ代表以外の関係者からすれば

 「スアレスは厄介だ」
 「まさか、また噛みつくことはないだろうな!」

 と、良い印象は抱かないでしょうね。

 彼がもつ公的イメージを逆手にとったアディダスの広告は、スアレスの存在価値を極限にまで高めていますが、注意しないといけないのは、この広告は品質、機能については語っていない点です。

 むろん、マジスタにしてもプレデターにしても、その品質は最高峰であり、だからこそ愛用者は存在します。

 しかし、ファンはこうした

 「ファン・プロモーションの巧みさ」

 に注意しないといけないようにも思います。

 アシックス、ミズノが以前よりも影響力が低下しているように感じるのは、デザインや履き心地ではなく、欧州ブランドに見られる映像の巧みさで勝負をしていないから。

 という見解が可能でしょうし、むしろそれだけ広告費は企業として不可欠な予算なのでしょう。
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後でやれよという、間違った感覚

2015-05-12 01:29:41 | 日記
 皆さんの職場では課が最高ですか、それとも部になりますか。

 我がスーパーは「課」で区切られており、課長の上には最高責任者として店長が常駐する形になります。

 従って業務報告は主任から課長、店長へと流れていくのですが、有難いことに課長は僕の働きを評価してくださり、よく声をかけてくださいます。

 皆さんも同様でしょうが、

 「自分の仕事と上司から任された仕事、今どちらを優先すべきか」
 「自分の事を後回しにして、上司の仕事にとりかかるべきか」

 で悩む事、ありますよね。

 僕は出来る限り

 「今頼まれた仕事を今やってしまう」

 事で時間のゆとりを作るようにしていますが、それは過去の体験も影響しています。

 スーパーでは毎日大量の段ボールを片づけねばなりませんし、陳列、会計の他にハンガーの整頓、レジ回りの清掃、試着室に落し物は無いかなど、一般企業にはない仕事が多数存在します。

 でも、これらはまず、主任以上の責任者が行う事は無いのです。

 従って僕がやる機会は非常に多いですが、この作業を面倒とは思いませんし、

 「自分の家を清掃するのに、職場を清掃しない事はおかしい」

 と考える為です。

 サッカー・スタジアムもシャトルバスも、清掃担当の方が丁寧に磨いてくれるからこそ、僕たちは安心して利用できるわけですから。

 でも、こうした雑務、多くの場合
 
 「そんなの後でやれよ」
 「今、他に優先する事あるだろう」

 と否定的に吐く責任者が非常に多いですよね。

 僕はいつも

 「あなたの言う後は何時訪れるんですか」
 「その後、何も手をつけないのに言う資格は無い」

 と感じます。

 後回しにするくらいなら、今片づけた方が良いですし、サッカーだって残りわずかのアディショナル・タイムに賭けるよりは、それ以前に得点を奪い、逃げ切りに入る方がいいに決まっています。

 上司は

 「それを優先してくれて構わないよ」
 「5分、時間をくれないか」

 それくらいのゆとりがある方が気分が落ち着くでしょうし、ベンチで戦況を見つめる監督も同様です。
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