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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

達観したカズの意識

2011-05-29 02:12:33 | 日記
 「達観」

 という日本語がありますが、僕は今のカズほどこの言葉が似合う日本人はいないと
思うんです。

 あの非公式の震災復興試合で決めたゴールも必然に思えたのは、カズが既に周囲の
意見や流行に左右されない、文字通り

 「達観」

 の境地にあるからだと考えます。

 でもカズが現在の心境を得るまでは、僕たちが自分たちが歩んでいる人生の中では到底
感じ得ないような、苦しさやもどかしさが沢山あったと思います。
 
 カズについて様々な原稿を執筆してきた方に、一志治夫氏がいます。

 一志氏が手がけた著書の中に

 「たったひとりのワールドカップ
  三浦和良 1700日の闘い」

 があります。

 これは幻冬舎文庫から発売されていまして、僕の所有しているものは平成10年8月
28日の2版のものですが、驚くべき事に初版は3日前の8月25日なんですね。

 つまり3日という短期で増刷に踏み切った背景には、ファンが皆

 「ワールドカップ予選を闘ったカズと、本戦に出場できなかった気持ち」

 をそれだけ知りたかったのでしょう。

 これは1994年のジェノア移籍から、98年のワールドカップに関してまで書かれてい
て、やはり終盤になってくるとカズの発言から、どこか

 「痛々しさ」

 を感じます。

 言い換えればカズが自分の歩み、つまりプライドを必死に守ろうとしている。

 カズも達観の境地に至るまでは、様々な経験を一身に浴びてきたことがわかりますし、
ワールドカップ以後の日本と異国での経験を無駄にしないよう、毎日を生きてきたことの
証でもあります。

 今の日本でカズほど批判を浴び、同時に清潔さを保っている人間は居ないと思います。

 だからこそカズの言葉に耳を傾け、著書を買い求めるファンが後を絶たないと言える
でしょう。
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宮市と宇佐美の召集に対して思うこと

2011-05-29 00:26:42 | 日記
 宮市亮がふたつの代表から

 「カスリ」

 もしなかったことにメディアから疑念の声があがっていまして、当然の反応だと思い
ます。

 その一方で来月クエート戦を控えた関塚監督が、宇佐美貴史を

 「日本代表」

 に譲ったことに関しても、腑に落ちないと考える人間もいます。

 僕はまず宮市の召集に関して、クエート戦までに彼が五輪代表に馴染む時間が無いと
関塚監督は判断したのだと思います。

 確かにフェイエノールトでの活躍はクエート陣営にも伝わっているでしょうし、監督も
召集するかどうかで悩んだと思います。

 関塚監督はきっと

 「今まで五輪代表に召集し続けてきた選手達を信用しよう。」

 そう腹を括ったのだと思います。

 言い換えればクエートに勝つのは当たり前、宮市の召集は以後でも構わないという考え
の下で今回の結論を出したと推測します。

 そうしますと宇佐美のA代表召集に関して、辻褄が合いません。

 これも推測で申し訳ないのですが、

 「五輪代表でも君たちにはA代表を担う実力がある!!」

 という両監督の選手達に対する提言だと思います。言葉では選手が感じ取れなくとも

 「召集」

 と目に見える形であれば、その効果は一目瞭然ですし、今後五輪代表の選手達の目の色
が変わってくるかもしれません。

 1990年代とは異なり今五輪は欧州スカウトの視線が緩やかになりましたが、ここ数年
U-20ワールドカップ出場を逃している日本にとっては大切な場所。

 「イングランド」

 というサッカーの伝統と息吹が伝わる場所で試合ができることは、選手達の大きな

 「肥やし」

 になるはずです。
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