ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



幸福の科学ってさ、「科学」なんて名前につけてて、それで「宗教」なのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アランの語る幸福論』(幸福の科学出版)で、「幸福論」で有名な哲学者・アランの霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 幸福の科学が、宗教であるにもかかわらず、「科学」という言葉を付けたことについて、私は、非常に親近感を感じますね。現代的な学問の、最先端の考え方も取り入れようとしているんだと思います。
 先ほど、「信仰心不足で、天変地異が起きる」という話をなさってましたけれども、幸福の科学には、宗教がやるべき一面として、そういうことを言いつつも、片面では、「お金が足りないと事業は起こせない」と、ちゃんと言うところがあるわけです。(中略)
 これは、非常に現代的な宗教だと思うし、実は、二十世紀の初めから、私たちが追究してきた哲学の延長上にもあるものだと考えております。
 つまり、「幸福」というものを、「単なる情緒的なものだ」とだけ思わないで、複雑な現代社会のなかにおけるストレスや、悩みの原因に当たるものを分析していく態度を、経営者や上司に当たる人はもちろん、同僚や、チームを組んでる者たちも取るべきであろうし、それと同時に、心の面、メンタルな面についてのケアも進めていかねばならんところがあるわけです。
 あるいは、震災に関して言えば、「堤防の高さが二十メートルあれば、津波は乗り越えることができなかったのに、十五メートル以下だったから乗り越えられてしまった」みたいなこともありますよね。
 だから、もし、神の怒りとして天変地異が起きたとしても、しかるべき対応をすれば、被害が起きないこともありえる。しかし、「そこまで要らないだろう」と思って予算を削ったら、大勢の人命が失われることになる。(中略)
 やはり、現代人としては、「神秘性」と「合理性」の両方を持ってなきゃいけないと思うんです。
 幸福の科学は、今、ほかの宗教から見ても、つまり宗教界から見ても“異端”であり、実業界から見ても、神秘主義を説くので“異端”だから、どちらでもない、変わったところにいる。
 コウモリのような立場で、“四つ足の動物”でもなく、“鳥”でもない。コウモリのような位置にいるところが、幸福の科学が理解されない理由でしょう。でも、やはり、これが必要なんだと私は思いますね。
 理解できないのは、片面しか見てないからだと思います。
(42~45ページ)

幸福の科学が、宗教であるにもかかわらず「科学」という言葉を付けたのは、現代的な学問の最先端の考え方も取り入れようとしているのだと思う。

これは実は、二十世紀の初めから私たちが追究してきた哲学の延長上にもある。

現代人としては、「神秘性」と「合理性」の両方を持っていなければならない──。

今日は、著名な哲学者の目で、幸福の科学をみると、こう見えるという話になります。

学問としての「哲学」がやろうとして来たことを、「宗教」に軸足を置きつつ、幸福の科学がやろうとしているのだと考えたとき、今日のアランの言葉の意味が、とてもよく分かる気がします。

アランは、科学的態度も入れることで「現代的な幸福論」を説いた哲学者なんだろうと思います。

その透徹した目からみた幸福の科学論。

とっても参考になる話ではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『アランの語る幸福論』

 大川隆法著


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