JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

ジャズは気楽な旋律 / 木全 信 著

2014-06-22 16:06:55 | 
お休みだけれど公用で出かけていたので、アップした記事がちょっとおかしいのにも気がつかづ失礼しました。
仕事の後にいくつか仕入れてきましたが、それは次に回して、今週読んだ本です。



副題に“プロデューサーが出会った素顔の巨人たち”とついているジャズ・アルバムのプロデューサー木全信氏の、氏がプロデュースしてきたミュージシャンのことを綴った新書。
氏のプロデュース作品を特に好きというわけではないが、ニールス・H・O・ペデルセンの「Friends Forever」を作ってくれたことだけで好意を持っています。

時間がなくて拾い読みですが、有名ジャズ・マンの思わぬ話が面白いです。

中にコラムが2つかいてありその2が“評論家の存在意義とは―書かれた文章をどうよむか

というのがありました、何度か話題にしているテーマなのでそこからの書き抜きです。
出だしSJ誌を立ち読みしていた人と話したら、「誌で紹介されている記事とそのアルバムを聴いた印象とがかなり違うことが多くて・・・・買ってガッカリというケースが結構ある」という話ではじまって評論家についてこのように書いています。

 評論家、解説者と呼ばれる執筆者には、大きく分けて四つのタイプがある。
 一つ目は、ジャズを芸術的、学術的にとらえて、かなり難解な言葉を多用するタイプ。二つ目は、ジャズ・コレクターとして長くジャズに携わり、レコーディングの様々なデータにやたら詳しいタイプ。
 次に、楽理やテクニックを中心に論ずるタイプ。過去に演奏活動に身を置いてた人たちの多くがこのタイプ。最後に、自分独自の感性で語るタイプ。このタイプの筆者たちは「好き」「嫌い」がはっきりしていて、表現もわかりやすい。自分の感性で語ることは、かなりの文章力、説得力が要求され、読んでいて伝わってくるおのも多い。

そしてこのききゅつの一寸手前の記述アルバムを買うときの判断について

 評論家なり解説者が書いている中身に、説得力を感じ、聴いてみたいと思うことがどうも大切な大切な判断材料になる。簡単にいえば、自分の「好み」に近い執筆者を見つけることである。そうすれば、好みの同じ執筆者のアルバム紹介の記事と、それを読む自分の印象とがそんなに大きくかけ離れることはない。

ということで、実力はまるで違いますが、この評論家なり解説者をブロガーと言い換えても良いように思います。で、このタイプをはき違えずに、もしくはどのスタンスで書いているかを意識することでなんだかな~と思う記事を書かずに済むと思います。

コメント
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