JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

江分利満家の崩壊 / 山口 正介

2013-02-20 17:25:55 | 


1995年8月30日に作家 山口 瞳が聖ヨハネ会 桜町病院のホスピスで亡くなるに至るまでの軌道は息子である正介氏が著書に「僕の父はこうして死んだ」山口正介著にしている。

瞳氏が毎週書いていたエッセイの内容との落差や、自分の身内のことを綴ってしまう宿業をその本に読みとれる。

それを記事にしたなかで、次の感想を書きました。

「血族」や「家族」で身内を赤裸々に表したことで「父を殺した」「母を殺した」と宿命付ける作家を父にもつ正介氏が、ここで同じように父の死を赤裸々に語ることで、表現者として、父と対等に対峙したい息子のしなければいけないということだったのでしょう。

その16年後、同じ桜町病院で送ることが綴られたのがこの「江分利満家の崩壊」です。 山口 正介著 新潮社 2012年10月 発行

著者自身が還暦を迎え、老いた母を送るということ自体、かなり似たような状況の私にとってもこの本は結構つらかったが、山口瞳の「血族」や「家族」で自身の親や身内の秘密を明かすことに付き合って、その本人の死についての著書にも付き合ってきたからには、因縁があって読まないわけにはいかなかった。

テタニーという病と、パニック症候群であった母親は、実は精神の変節により夫である瞳氏、この正介氏を支配したのであって、そのことがこの書でも明かされる。
それは愛憎混沌となって家族の存在を明らかにし、そして家族の消滅の過程であった。

それではこの本のなかから一節、やはり家族のことを書くことについての気がかり部分。母親が亡き夫の作品「人殺し」の中にある浮気について反論を執筆していたことについて

『しかし、新作の内容が夫と自分自身のことであることに僕はすくなからず驚いた。だが、父も僕も自分自身のことを書いてきたのであり、親にも言えないことを公に発表するのが家業という変な家庭であった。以前、「日記を公表するなんて信じられない」とある女性から言われたこともあった。確かにこれが世間一般の常識なのかもしれないが。』
コメント
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